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眠れぬ夜に〔#7〕『蔑み』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔#7〕

『蔑み(さげすみ)』とは・・・
『平等への希求』である。



〔解釈とヒント〕

『人を蔑む』という行為・・・
(なかには、そればかりしている人もいるようですが)

人を蔑んでしまったことで、あとで後悔したという経験をされた方も
きっと多いのではないでしょうか。

何かしらの事情や自身の欲求を満たすために
人はついつい、身近にいる人のことを蔑んでしまうわけですが
いったいどんなときに蔑んでしまうのでしょうか?


『蔑み』は『軽蔑』と言い換えることができます。

『軽蔑』とは、「自分の方が上である」という意識。

つまり、見下しているということになります。


では、なぜ人は自分より劣っている(と感じている)人を蔑むのでしょうか?

人を蔑むことで「優越感を得たいから」というのが
もっともな理由のひとつですが
優越感を得たいのであれば、自分の中でほくそ笑んでいればよく
必ずしも人を蔑む必要はありません。

なのに、人を蔑まずには ”いられない” ・・・


結局のところ

(蔑んでいる相手に)『何かを求めている、期待している』

部分があると思います。

 ・・・上司が部下に、親が子どもにそのような態度をとるのは
    「お前はもっとできるはずだ(なのにやろうとしないから…)」
    という気持ちが ”偏った形で” 出てしまっている。

    (上司・親である自分が、人を育てられないことに『恐れ』を抱いている)


また、社会のなりたちにおいて
人は、対立の中で他者を認めないことには、自分が存立できないことに気づきます。

(負ける人がいるから勝つ人が出てくるように)
(『悪』があるからこそ『善』が引き立つように)

もうすこしわかりやすく言うと
人は、自分以外の他者の存在を認めることで、はじめて自分の存在を認めることができます。

(他者が何らかの意見を言うことによって、はじめて自分に「それは違う」という意見が生じることって、ありますよね)

これを『総合承認』といいます。


人々が暮らし、生きる共同体では
誰もが『総合承認』を行っていることになります。

よって、『蔑む』という行為の根底にも
ほんとうはこういった『総合承認』の欲求が関連しているようなところが
きっとあるのだと思います。


さきほどの上司と部下、親と子どもとの関係のように。

ちょっと難しいですけどね。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)