ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

自己肯定感を育むためのヒント

日々過ごしていく中にある感動や新鮮〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

以前のコラムにて、感動の反対のことば〔退屈〕について述べたわけですが
(参照URL: http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/698 )
どうすれば感動を損なわないようになるのか、その工夫の仕方について書いてみたいと思います。


私は日常生活の中で、比較的よく歩くようにしているのですが
その『歩く(ウォーキング)』というひとつの行為をとってみても
まずひとつ、道順を逆回りにしてみることによって
いつもは上り坂だったのが下り坂になり
夕焼けを背にして歩いていたものが、赤い陽を正面に見ながら歩くことになり
また、エントランスばかり見ていた近所のマンションは
たくさん並んだバルコニーを眺めることになりますよね。

そのほかにも、車が対向方向から来ていた一本通行の道は、車が背面からくることになりますし
いつもは目立つお店の看板も、どこか物憂げに見えるかもしれません。

それ以外にも、ひとつ違った路地を歩くことによって
(いつも見慣れた)近所の風景と感じられない、まったく違った風景や光景に出合えたり
「こんなところにこんなお店があったんだ」といった発見があるかもしれません。


また、季節を感じる『色』に着目して歩くだけでもステキですよね。

例えば、これからの季節。
なんといっても紅葉の赤や黄色がめだつときなので、それらの色に着目してみる。
そして、もう少し寒くなったら、暖色系の色に着目して歩いてみる・・・など。


きょうのお仕事の帰り、ちょっと寄り道してみませんか。

いつもと違う発見があるかもしれませんね。

『感動』の反対のことば〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

前回のコラムにて、感動することの素晴らしさについて述べたわけですが
(参照URL: http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/694 )
今度は逆に、『感動』の反対について少し考えてみたいと思います。


『感動』の反対・・・
それは『退屈』ということになるかもしれません。

一般的な『退屈』というと
「やることがない」とか「時間を持て余している」状態のことを言いますが
ここでいう『退屈』は
「脳に新鮮な状態が行き届かない」ことだったり
「自らその情報をキャッチすることを拒んでいる」ような状態のことです。

つまり

「どうせこんなもの」
「何をやってもおもしろくない」
「もういい歳だから」

と自分に “ストッパー” をかけてしまうような行動や発言。

( “頭のいい人” って、意外とこういった傾向が強いですよね)

こういった “ストッパー” の積み重ねが
老化だったり、はたまた、うつ病や認知症といった
脳の病気を進ませるような気がしてなりません。

そのため、前回コラムの繰り返しになりますが
日々過ごしていく中で、小さな感動を積み重ねていく。

また、たとえ「小さな感動が難しい」と思う方がいらっしゃっても
ちょっとした工夫で退屈から逃れることができると思います。

人生の『かきくけこ』〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

人生を豊かなものにする『かきくけこ』というのがあるそうです。

その『かきくけこ』とは

『か』・・・「感動」
『き』・・・「興味」
『く』・・・「工夫」
『け』・・・「健康」
『こ』・・・「恋」

(理由を書かずとも、「なるほど!」と思われたのではないでしょうか)

その中でも、外せないもののひとつに
最初の『か』=『感動』があります。

というのも、これが上手にできるようになると
自然とあとの『きくけこ』がついてくるような気がするのです。

「感動する」ということは、ただ何かを漠然と感じ取ることよりも
何倍もの高揚感や気持ちの集中力を高めてくれますし
ときに、一生の心の支えとして記憶されることも多いと思います。

もし仮に、1日に何回も感動できる人は
たっぷりとした幸福感の中で1日を過ごすことができるでしょうし
そうでなくても、素晴らしい映画やドラマを見たときや
素晴らしい本に出合ったりステキな話を聞いたときに流す涙は
まさに “心の癒し” といってもいいのかもしれません。

また、「きょうは何か感動することはありそうかな」
そう思いながら過ごすだけで、ちょっとワクワクした1日になるかもしれませんね。
 

年齢を重ねると可能性はなくなる。その代わり・・・〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

「若い頃は可能性がたくさんあるんだから、がんばりなさい」
なんて言葉をよく耳にします。

『頑張る』よりは
「いろんな経験をして〔自分〕を見つけなさい」
ということになるでしょうか。

そして、この言葉と同時に
「年を取ると可能性がなくなる」
という言葉もよく耳にします。

確かに、気力・体力も少しずつ衰えてくるし
そこまで『頑張る』(自分の可能性を広げていく努力をする)必要もないだろう・・・
と私自身も感じることが多いです。


ただ、この言葉だけで ”片づけてしまう” のはちょっとせつない・・・

そこで感じていただきたいことがひとつ。


確かに、年齢を重ねていくと可能性はなくなる。
その代わり、年齢を重ねることで “増える” ものがある。

それは、ずばり『リソース』のこと。

『リソース』とは
いままで築き上げてきた経験・人間関係・財産(物)・環境のこと。


もし仮に、いまが少しつらいと感じるようなとき
自分の『リソース』を思い起こさせるような作業を行うことも時に大切なのではと思います。
(ただ、つらさが重い場合、かえってつらさが大きくなってしまう可能性があるので注意が必要ですが)

・ “自分らしさ” を感じさせてくれる友人に会う
・過去に熱中していたものに目を向けてみる
・自分が輝いていたと感じる場所を訪れる

など。


また、自分の『リソース』を上手に思い起こさせることができないのであれば
『Youtube』にて、むかし自分が見ていた映像や聴いていた音楽を楽しむだけでもいいのではと思います。

いまは “過去が手に入る” 時代ですからね。

懐かしい映像や音楽を聴いて
「こんな素敵な時代を自分はいきてきたんだ」と。


もちろん(さきほどの繰り返しになりますが)
単に「昔はよかった(それなのに今は・・・)」と嘆くのではなく
『肯定的に振り返る』ことができるかどうかがポイントとなってきますけどね。
 

小さな “アップデート” を繰り返す〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

何気なく使っているスマートフォン。

意識してみると、内蔵されているアプリに関する『アップデート』の更新が
毎日のように更新されているのが分かります。

いざアップデートしてみると
大幅に更新されている様子が分かるものもあるなかで、何が更新されたのかよくわからないものが大多数・・・

ただ、少なくても何かしらはよくなっているのでしょう。
(そう思わないと意味がない)


さて、かくいう私たち・・・

スマートフォンのアプリのように、(自分自身の行動や気持ちを)日々 “アップデート” する必要はないにしろ
少しでもそういった意識を持てれば、より自分らしく生きることができるような気がします。

つまりは「きのうよりきょう、きょうよりあした、自分らしくありたい」みたいな。

現状に満足することももちろん大切ですが
どうしたらもっと自分に満足ができるのか、ちょっと “欲張ってみる”


自身の内面が上手に “アップデート” することができれば、おのずと行動も変わっていきますし
いずれは目に見える形でよい変化をもたらせてくれるような気がします。

『つかれ』をとる〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

暑い日が続きます。

夏バテとまではいかないまでも、普段よりも疲れがたまっているという人も多いと思います。
(特にこの時期、お盆の帰省ラッシュなどで普段と違う疲れを感じますよね)

また、会話や文頭のあいさつ、仕事を依頼する際の前置きとして
「お疲れさま」ということばを使うことがなにかと多いわけですが

その語源は「憑かれた」
つまり「とり憑かれた」「憑依された」という説があるそうです。


1日1日、がんばって仕事や家事をこなしていると
当然疲れが出てくるわけですが
なぜ、疲れが出てくるのか・・・

それは、きょう1日会った人、すれ違った人の
『邪念』や『怨念』といったものが
「とり憑いてしまった」からかもしれません。
(そういう自分も、みなさんも、誰かに「憑けてしまっている」かも)


その「つかれ」が体のどこにつくかというと
肩や背中がほとんど。
(昔からお化けや霊は肩や背中に憑くと言われている)

よって、外から帰ってきたら
まず玄関先で肩や背中をポンポンと軽くたたいて
“邪気を祓ってから” 家の中に入るとよいとされているそうです。


スピリチュアル的な要素がやや強いですけどね。

ただ、納得感はあると思います。

熱量の差〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

先日書いたコラム『『怒り』を行動エネルギーに変える』にて
少し思いついたことがあったので、続編みたいな形で書こうと思います。
(該当URL:http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/661 )
 

それは、みなさんの日常でかかわっている人たちが
どのくらいの『エネルギー』を持っているか・・・ということ。

そのかかわっている人とは、仕事関係はもちろんのこと
ある種 “やむを得ない” お付き合い(PTA、父母会、町内会など)や
習い事、カルチャースクールなど含め・・・

『エネルギー』というよりは『熱量』という方がしっくりくるかも。


やはり、自分と同じ熱量を持った人たちとかかわるのが
一番いいような気がしますよね。

自分をもう少し “高めたい” のであれば
自分よりも高い熱量を持った人たちをかかわることで
自分を高めていくというか。

(仕事など、なかなか避けられない、やむを得ない事情もあると思いますが)
熱量の低い人たちとはあまりかかわらない方がいいような気がします。


水が上から下に流れるように
エネルギー(熱量)も高いところから低い方へ流れていく・・・

みなさんの高いエネルギー(熱量)を
やる気のない、低い人たちに奪われないように・・・


覚めてしまったら、元も子もないですからね。

『怒り』を行動エネルギーに変える〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

日ごろから穏やかに過ごすことを心掛け
また、自身の性格も温厚な方ではないかと自負しているわけですが
先日、ひさしぶりに『怒り』を覚える出来事がありました。


当然、心を取り扱う者なので

・この怒りはどこから湧いてきたのか
 (何のどういったところが自分の琴線に触れたのか)
・怒りの陰に隠れていた感情は何かあるか
 (ex 満たされていない、分かってもらいたい、認めてもらいたい etc…)
・仮にシチュエーションが違っていた場合、同じように怒っただろうか
 (ex その人だらか怒りが出たのか、違う人でも同じように怒りが沸いただろうか)

など、後になって分析してみるのですが
もうひとつ、気が付いたことがあり、それは

『怒り』が生じたときに、ものすごいエネルギーが放出されている

ということです。


ただ、これだけだと
「なんだ、あたりまえのことじゃん」と思われそうなので、少し言い方を変えて

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ある物事に関して
「やってみたい(けど(○○なので)できない)」
「やりたくない(けどやらなければいけない)」
たくさんの “エネルギーの素(火種)” は本来、誰もが持ち合わせている

ただ、いろいろと考えすぎてしまって
「別にやらなくても変わらない」「失敗したらどうしよう」
「人からなんと思われるだろうか」「○○をすることで△△ができなくなってしまう」
「やっぱりちょっとめんどくさい」「本当は変わりたくない」 etc…

と、なかなか行動できない人は、やはり多い。

そんなとき、『怒り』がとても優秀な “着火剤” の役割をしてくれて
行動促進のきっかけをあたえてくれるというか・・・


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みなさんも経験されたことありますよね。

ウズウズするというか
「いてもたってもいられない」というか
「夜気になって寝られない」というか・・・

『怒り』が生じたたときの、あの感覚・・・


『怒り』が生じたとき、上手につきあうことやコントロールすることも、当然大事。

ただ、何らかの怒りが生じたとき
「いま、動くチャンスかも」ということを意識しておもいきって行動に移せば
いつも以上に物事がコンスタントに進んでいくような気がします。


もちろん、実際に行動するときは
(ちゃんと善悪の判断ができるよう)冷静でないといけないですけどね。
 

相対的自信と絶対的自信〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

最近、私自身に特に何かあったというわけではありませんが
人は他人と比較せずにはいられない生き物だということを身に染みて感じるときがあります。


小さい頃の「○○ちゃんはできるのに、自分はできない」

それが、遊びにしろ、スポーツにしろ、勉強にしろ。

大人になってもそう(むしろ、大人の方がより顕著かも)

やれ大企業に入って、役職がついているだの。給料がいいだの。
結婚して子どもがいるだの。その子どもも、もうすぐ20歳になるだの。
何処どこに結構大きなマイホームを持っているだの。毎年家族で海外に旅行に行ってるだの・・・


人と比較することによってある種の自信(みたいなもの)につながればいいのですが
どちらかというと、ちょっと不愉快な気分になることの方が多いと思います。
( ”上” を見ればきりがないですからね)

そのため、できることなら、人と比較して一喜一憂するのはやめて
自分の心の中だけで自己満足・完結できるようなものを多く持てるといいですよね。

「これをしているときが一番楽しい」
「これさえあれば、ただただ、しあわせ」

みたいな。

相対的自信 ではなく、絶対的自信。

いまは忘れてしまったかもしれないけど、小さい頃の自分を丁寧に思い出していけば
必ず誰もが何かしら(絶対的自信を)持っていたはず。

小さい頃のワクワク・・・ちょっと思い返してみませんか?

誰にもじゃまされない、自分だけの幸せで完全・完璧な世界。

ちょっとオタクみたいですいけどね。

気前のいいひと〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

人や物に対し、おごったり与えたりすることを
『気前がいい』なんて言い方をしますよね。

この『気前がいい』とは
文字どおり、『気が前に出ている』ことになります。


また、自分の興味にあるものに目がいっているとき
身体は『前のめり』になっています。

つまり、これもある意味『気が前に出ている』ことになります。


このように、人や物に何かを与えることと
自分の興味の注ぐものに目を向けることが同じと考えた場合
『自分らしく生きる』こととは
決して自分本位で物事を考えることではなく
(もちろん、それも大事ですが)
いかに周りの人や物に “与えられるか” が重要となってくると考えられます。

つまりは、見返りなき『他者貢献』


そうった意味では、自分の気を『前に出す』ためには
どんな小さなことでもいいので、『与えられる』存在になる必要がありそうです。

買い物に行った際、レジでおつりを募金するもよし。
電車の中で、席を譲るのもよし。
「お先にどうぞ」の気遣い運転するのもよし。
知り合いや職場の同僚に、出かけた先のちょっとしたプレゼントをするのもよし。


小さな他者貢献を重ねていくことで
おのずと『自分らしさ』とはどういうことなのか
分かってくるような気がすると感じる今日このごろ。

さあ、今日は、誰にどんなことができるだろうか。

そう考えると、今後の自分に対し
ちょっとワクワクすることもできると思います。


さて、みなさんは、誰にどのようなことができそうですか?