ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

脱 ”うつ” ・メンタルヘルス

”うつ” の半分は『やさしさ』でできている

みなさま、いつもありがとうございます。

”うつ” になってしまった方々に対し、経験者の立場から
時には温かく、時には冷静沈着な見方をして
いかに支援できるかを常日頃から模索しているわけですが
”うつ” になる人、いろんなことで悩む人は
我慢のしすぎだったり、頑張りすぎだったりするのは間違いないそうです。


では、なぜそうなってしまうのか・・・

それは、半分は『恐怖心』があるのだと思います。

嫌われたくない… 変に思われたくない…
仲間外れにされたくない… 孤独になりたくない…

でも、残りの半分は『やさしさ』でできていると思います。

相手を傷つけたくない… 不快にさせたくない…
喜んでほしい… (痛み、苦しみを)代わってあげたい…

そんなやさしさ。

そして、自分を傷つけたくないという『やさしさ』

つまり『いい人』なのです。

ただ、他人のことを思いやりすぎて
ちょっと自分をほったらかしにしすぎてしまったところがあったかも。

だから、”うつ” になってしまったし
ちょっとしたことで悩むようになってしまった・・・


なので、少し ”訓練” が必要となってきます。

どういう訓練かというと、それは
自分の人生と、他人との人生とを ”切り離す” という訓練。
(たとえそれが(家族・身内など)ものすごく近い人であっても)


『ゲシュタルトの祈り』という詩がありますので、それを紹介したいと思います。

これを何回か口にすると
他人(だけ)に向けていた愛が
自然と、自分に向けられてくるのが分かります。

まず一度、口ずさんでみてください。

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わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし
あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁あって、2人が偶然出会えたのならそれはそれで素晴らしいことだが
もし出会えないのであれれば、それはそれで仕方のないことだ。


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いかがでしたか。

もしよかったら、1日1回でもいいから
根気よく続けてみてください。

愛が自分自身に向けられてくるのがだんだん分かってくるはずですから。

「 ”うつ” が治らない」と嘆く方へ

みなさま、いつもありがとうございます。

最近、問い合わせで増えつつあるのが
心療内科に通っているという患者さんから
「薬を何年も飲み続けているけど、いつになったら治るのか」という話。

私はお医者さんではないので
その方の ”うつ” が病的であるかどうか、はたまた
治る・治らないという話をすることはできませんが
ひとつ、”うつ” のみなさんに質問してみたいことがあるのです。

それは

「もし、お医者さんから『もう治ったので来なくていいですよ』と言われたら、どうしますか?」

ということ。


ちなみに、私の中で ”うつ” というのは『脳の病気』として認識しています。

 〔現代医学による ”うつ” のおもな検査方法〕
 ・光トポグラフィー検査(近赤外線を使用して前頭葉の血流量の変化パターンを確認する)
 ・CTやMRIによる神経変性疾患診断(+脳の収縮などの確認)
 ・脳波検査(脳の “異常活動” を観察する)  など


つまり、これらの検査をして『異常』と判断されれば、当然病院での治療が必要となるわけですが
異常がみられなかった場合は、医学的に治すものでないという考えを持っています。


さて、話は元に戻り

薬を何年も飲み続け「いつ ”うつ” が治るのか治らない」と嘆いていたとしても
いざ、お医者さんから「もうあなた、治ったから来なくていいですよ」と言われたとしたら
おそらく「そんなことはない!だってまだ気分が落ち込むから…」と言って
いろいろな症状を ”つくって” お医者さんに訴えるのではないかと思います。

そう。

ある意味
「自分で病気や症状をつくっているところがある」
ように思えるのです。

(治ってしまうと、元の ”苦しい” 生活に戻らなくてはいけない… だから ”ほんとうは” 治りたくない…)


『心の病気』を取り扱うお医者さんであっても
あくまで目に見える身体の異常(”うつ” については脳の異常)を治療するのが本来の役目。

目に見えない身体の異常や、精神的なものについては
自分に合ったセラピスト(カウンセラー、各種療法士、整体師など)を捜し
医学以外の方法でじっくり取り組む方がよい方向に進むように思えます。

というのは、本来、セラピストというのは
その人のもともと持っていた自然治癒力や自己解決力を引き出すのが役目ですからね。


いま現在 ”うつ” で苦しい思いをされているという方も
ほんとうに治したい・治りたいのであれば
(100%医学に頼らず)「自分で治していこう」という気持ちを
ほんの少しでもいいから持っていただく方がいいのかなと思います。

めざせ! “うつ” 円満社会

みなさま、いつもありがとうございます。

ハロウィンや東京オリンピックの準備の様子などを
ニュースや情報番組で無理やり盛り上げようと見せているその裏には
なんとなく世の中が沈滞化してしまっているというか、閉塞感のようなものを感じます。

(もちろん、そう感じるのは私だけかもしれません)


こういった、世の中全体がどこか疲弊してしまっているような雰囲気の中で
社会問題となっている “うつ” を排除しようというのは、とてつもなく難しい・・・

では、どうすればいいのか・・・

やっかいな “うつ” ではあるけれど、それを排除しようとするのではなく
“うつ” のつらさを社会全体で受け止め、少しでもいいから理解するとともに
より家族や友人たちとの絆が深まるような社会になればいいなと思っています。

ひいて言うなら
『うつ蔓延社会』ではなく『うつ円満社会』にする感じ。

誰もが持っているであろう “うつ気分” を隠さず受け入れ
(ちょっとした体のだるさ・心配・ゆううつ・やるせなさなども含め)
上手につきあえるような世の中に。

自分はもちろんのこと、周りの人に対しても
もうすこし寛容になれるように。。。


作家の五木寛之さん、精神科医の香山リカさんの共著
『うつの力(幻冬舎新書)』の中で『うつ』を以下のように表現されています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

エネルギーと生命力がありながら
出口がふさがれていることで中で発酵しているもの

逆にいえば、発酵されたうつが出口を見つけたら
それは大きな生きるための強力なエネルギーとなって
その人の重要な栄養素となって支えていく


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以前、「なぜ、まじめな人が “うつ” になりやすいのか?」という項目で
「ありのままの自分がないから」という、少々「きつい」と感じる表現で書いたことがありますが(※)
実際に “うつ” になってしまう人は、単に “まじめ” というだけでない
繊細で感受性が強く、とてもやさしい人が多いような気がします。
(そのやさしさが自分にとってマイナスに出てしまっている)
(また、心が弱いからではなく、心が強いからこそガマンし続けてきた)

また、“うつ” から解放された人は
(以前にも増し)さらに心が強くなって温かくなる人も多いと思います。


『うつ円満社会』

私の目指しているところ。

少しずつ形にしていきたいと思います。


 (※)該当URL「なぜ、まじめな人が “うつ” になりやすいのか?」
    http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/416

『うつ病』は重度の “生活習慣病”

みなさま、いつもありがとうございます。

前回のプレリリースにて
“うつ” は生活習慣病の予備軍のようなものであることを書きましたが
(前回URL:http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/475
一方で、病的レベルの “うつ” は、それこそ、人の一生を左右する
かなり重度の “生活習慣病” であるような気がします。


周りが見て、あきらかに「いままでと違う」と感じるようなとき・・・

 〔例〕急に感情的になる  思いがけない弱音を口にする
    奇声を上げる  ただ1点のみをぼーっと見つめている
    動作や表情が鈍くなる  ふわふわした歩き方をしている  など

いち早く専門の大きな病院で受診された方がいいのかもしれません。
(街中にある心療内科ではない、ちゃんとした検査設備の整っている施設)
    ↓↓
  光トポグラフィ検査、脳波検査、CT、MRIなどによって
  “病的なうつ” は『脳の病気』として診断・治療していただけるはずです。
  (ただ単にその症状にあわせて薬を出すだけのようなことはしない)


上記と同じようなことを、劇作家の鴻上尚史さんは
「うつ病は心の骨折である」という表現を使って説明しています。

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先日、ネットで「うつ病は、脳のこむら返りみたいなものだ」という表現を見ました。

これは「うつ病なんてのは、気合が足らないんだよ。根性とガッツで乗り越えるんだよ!」と言いがちな体育会系の人達(いや、もちろんイメージですが)にも「こむら返り」は気力や根性ではなんともならない病気だと簡単に理解できる、とても的確な言い方だと思いました。

経験した人は分かりますが、脚がこむら返りを起こした時は、根性で走ったりガッツで伸ばそうと思ってもムダです。
筋肉はぎゅーっと固まり激痛が伴います。気合で乗り越えようとすればするほど、痛みが増すのです。

この痛みは、体育会系であればあるほど、経験しているでしょう。
「うつ病はこむら返り」と表現することで、「そうか。それは大変だなあ」と理解する人が増えると思います。

僕はずっとうつ病を「心が骨折したようなもの」と表現してきました。
これはうつ病は「心が風邪をひいたようなもの」という言い方があって「風邪なんてのは、気力で治るんだよ。いや、そもそもたるんでいる奴がひくもんなんだよ」という精神論を徹底的に否定するために言っているのです。

風邪は病院に行かなくても治るかもしれないけれど、骨折は病院に行かないとちゃんと治らない。
そう言いたいために「骨折」という表現を使っています。


(AREA連載企画「鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」2018.9.4 より一部を抜粋)

“うつ” は生活習慣病の予備軍?

みなさま、いつもありがとうございます。

“うつ” というものを分かりやすく伝えるために
いろいろ言葉を考えたり、比喩表現を用いたりしているわけですが
最近、私が “うつ” について気がついたことは
”うつ” も、いわゆる生活習慣病の予備軍のようなものではないかということです。


私が “うつ” っぽくて苦しんでいたころの話・・・

まず、性格的にどうかというと
自分に自信がなく、人にどうみられるか、その評価ばかりを気にしていたり
家庭環境などを言い訳に何かに挑戦することをあきらめていたり・・・

それにも増して
仕事や人間関係を必要以上に優先し過ぎたため(必要以上の頑張り、空気の読みすぎ etc…)
自分のための、基本的な生活さえおろそかにしていたことに
つくづく愚かさを感じざるを得ません。

(まさに自分をないがしろにしていた。というか)


例えば、寝る時間。

息抜きする時間をつくりたいということで
夜遅くやっているバラエティー番組を観て夜更かししたり。
   ↓↓
 身体だけでなく、脳や心を休ませる最良の手段が睡眠であることを
 まったく無視してしまっている


そして、食べる時間。

手軽に食べられるものですまそうと
(惣菜など)既に加工済の商品をおかずにしたり、サプリメントで補ったり。
   ↓↓
 必要な栄養がとれていたのならそれほど悪いことではないのかもしれませんが
 素材そのものを買って自分で料理するに越したことはない


そして、自分だけの時間。

急に手持ちぶさたになって
ただネットやテレビを見るだけで過ごしてしまったり。
仕事までの準備期間みたいな位置付けにしてしまったり。
   ↓↓
 自分自身に向き合わず、「人生こんなもんだ」と自分に “言い聞かせ”
 ただ社会や周囲に “流されるだけ” のいたずらな日々


忙しい生活が続くと
「疲れたら休む」という基本的なことも忘れてしまう――


そう。

“うつ” であるということは
自分自身の生活・生き方を変えるチャンスであるということ。



趣味が充実していたり、気軽に話し合える友人が多いのなら
“うつっぽくなる” 可能性は低いわけですが(ないわけではない)、一方で
我を忘れて没頭できるもの(趣味のようなもの)がなく、気軽に話し合える友人も少なく
(もしくは、何かに没頭できる時間をとれず、気軽に話し合える時間をとれず)
上に書いた『寝る時間』『食べる時間』『自分だけの時間』をおそろかにし続けたままでは
病的レベルまで発展してしまう可能性があると思います。


つづきはあした書きたいと思います。

“うつ” の日は “うつ” のままでいい

みなさま、いつもありがとうございます。

“うつ” というものが何であるか
一言で表すことはなかなか難しいわけですが
私は「人間らしく生きるためのエネルギーが枯渇した状態」と捉えています。

また、“うつ” になる原因(要因)も
環境によるものだったり、先天的なもの(生まれ持った性格)だったりといろいろあるわけですが
まずは『人間本来のあり方に立ち戻り、精神的に成長する』必要があります。

では、どうすればそのように “立ち戻る” ことができるのでしょうか。

森田療法創始者の森田正馬(まさたけ)の著書にそのヒントが隠されています。

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心は天気のようなものである。
晴れの日もあれば、雨の日もあれば、曇りの日もあるのが自然である。

もし毎日が晴れの日でばかりであればどうなるであろうか。
日照りになって農作物も枯れてしまうだろう。

人の心も同じだ。
(『森田正馬全集第5巻(白楊社)』より要約)


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すごく素敵な言葉だと思いませんか?

これは、世間でもてはやされる「ポジティブシンキング」とは異なり
「非ポジティブシンキング」になります。

人間の心には、晴れの日のように明るい日もあれば
曇りがかってすっきりしない日もあります。

また、ざあざあ雨が降る日のように
泣いたり叫んだりしたくなる日があるのが自然です。

「ポジティブシンキング」と絶えず前ばかり向いて生きていこうとすると
“自然に反した状態” になってしまいます。

心を常に晴れの状態にし、雨の日や曇りの日などないかのように
ポジティブにふるまうのは反自然です。
心が日照りを起こし、エネルギーが失われてしまいますね。

雨の日があるからこそ、農作物が成長できるように
“うつの日” があるからこそ、人は成熟できるのだと思います。

“うつの日” があったら、“うつ” のままでいること
自分の人生が無意味に思えたら、無意味さを味わう時間を持つこと


このことが、内面的な成熟・精神的な成長にとって
とても重要な意味を持つのだと思います。


(引用:「すべて投げ出てしまいたいと」思ったら読む本(諸富祥彦 著 朝日新聞出版))

“うつ” になってよかった10つのこと

みなさま、いつもありがとうございます。

社会問題としてすっかり定着した “うつ”

うつに関する研究は以前に比べ格段に進み
現在では、脳のある部分の機能不全が影響している
「脳の病気」という認識が世界的にも定着しているようです。

ただ、病気とまでは言わないまでも
とりとめのない悲しみや失望感のようなものに襲われることは
(いわゆる『うつ状態』)
生きている限り、必ず誰にでもあると思います。

きょうはそんなときのために
“うつ” になってよかった10つのことを少しまとめてみました。
(うつ病体験者からの情報をもとに書いています)

現在、心身とも健康という方にも
ぜひ読んで何か感じていただけたらと思います。


1.前より人をやさしく思えるようになった
2.病気にならなかったら決して会うことのなかった人たちの出会いがあった
 (病院やセミナーなどの仲間、カウンセラー、本なども)
3.自分の弱さをさらけ出して生きられるようになった
4.家族や友人たちに迷惑をかけることで、彼らに本当に愛されていることが分かった
5.普通が幸せなんだと実感し、何でもない家族との時間をいつくしむようになった
6.人と比べて苦しむ自分の弱さを認識できた
7.仕事を離れ、家族とたくさんの愛おしい時間を過ごすことができた
8.子どもたちをむやみに叱らなくなった
9.人と絆を深めることができた
10.生きていることがありがたい(奇跡)と思えるようになった


上に書いたことは、なにも “うつ” に限ったことではなく
(『死』を意識させられるような)大きな病気をした方にも感じられることかもしれません。

かくいう私も、“うつ” と言わないまでも
生きているのが苦しいと思う時期が何度もあったので
上に書かれているようなことが身に染みて分かったりします。


また、私と同じように、病気と言わないまでも
何かで少し苦しい思いをされている方(されたという方)
それによって得られたものは何ですか?

きっとあるはずですよ。

なぜ、まじめな人が “うつ” になりやすいのか?

みなさま、いつもありがとうございます。

ネット、テレビ、書籍・・・ “うつ” に関する様々な情報の中で
「うつはまじめな性格である人がなりやすい」というのを耳にされた方も多いと思いますが
なぜ、まじめな人が “うつ” になりやすいのでしょうか?
そもそも、『まじめ』とはどういう人のことをさすのでしょうか?


『まじめ』な人・・・私のひとつの解釈として
『社会性に優れている人』と考えています。

もう少し “突っ込んで” 言うならば
『(社会や世間によって作られた)常識やルールに強く捕らわれている人』
ということになるのかもしれません。

例を挙げてかみ砕いて書くと

・規範意識が高く、空気を読み過ぎる傾向にある
・「いい/悪い」「正しい/間違い」「こうあるべきだ」と自分のルールや型にはめてしまう
・自分の見た目や他人からどう思われているのか気にする傾向にある
・自分の意見(思ったこと、気づいたこと、感じたこと)を言わない もしくは ガマンしている
・他人の意見を(あまり疑うことなく)ありのまま素直に受け入れてしまう
・変に厳しく、ストイックなところがあるため、なかなか自分自身に満足できない

など。

さらに、ちょっと酷な言い方をすると

・ありのままの自分がない
・自分が “奴隷である”(主従関係の “従側” である)ことを受け入れている

ということもできると思います。


そのもととなるのが、人間の持つ欲求のひとつにある『承認欲求』

「社会から認められたい」「○○に△△されたい」と願う気持ちのその根源は
生まれて間もなく芽生える『親(特に母親)からの愛情の獲得』にあると思います。

 親からの愛を獲得するために、親の好きな姿に “振る舞う” ことによって
 “本来の自分” とかけ離れた自分に成長してしまう・・・
 (兄弟同士で争うその根底にあるのは、母親からの愛を独り占めしたいという思いがあるため)


苦しみの根源は、そのような部分から始まっているといっても過言でないかもしれません。


ただ、その一方で
「人の苦しむ・悲しむ姿をみたくない」という優しさを兼ね備えていますよね。
(だからついつい、自分を犠牲にしてまで他のものに尽くしてしまう部分があるのだと思います)

なので、”うつ” にならないためには
その人の持っている本来の『優しさ』と、上に(ちょっといたずらっぽく)書いた『まじめさ』を
その人の中で上手に分け隔てられるといいかなと思います。


また、昨今、すっかり有名人になった心理学者、アルフレッド・アドラーが
「人生のすべて悩みは、対人関係の悩みである」と言ったように
自分の人生を彩る中で人間関係ほど大きく左右されるものはありませんが
たまにはひとりきりになって、誰の目も気にしなくていい自分だけの時間・空間の中で
自分自身を深く見つめてみたり、心の声に耳を傾ける必要があるのかもしれません。

“うつ” の人に励ましはいけないのか?(2/2)

みなさま、いつもありがとうございます。

うつ・メンタルヘルスに関するテーマ。

前回のプレスリリース(下記)にて
「 “うつ” の人は頑張り方を間違えている可能性がある」ということを述べましたが
その間違った頑張り以外にも、昨今の成果主義や『努力』『根性』といった精神論的思考が
自分たちを苦しめている要因のひとつであることを忘れてはなりません。
(前回URL: http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/402


 「もっと努力すれば、いまを我慢すれば
  いつか『理想の自分』に出会えるのではないだろうか・・・
  『自分の求めていた幸せ』を手に入れることができるのではないだろうか・・・」


人生において大きな目標をたて、それに向かって努力を重ねることは
私自身、とても素晴らしいことだと思います。
(少なくとも、私にはできなかったことですから)

ただそれは、永遠に続く階段のようなもので
一度階段を上りきったと思えば、また新たな階段が発生する・・・

そのことの繰り返しで、どんなに頑張っても
「まだダメだ」「もっと頑張らないと」と思ってしまう・・・


こうやって少しずつ生きるエネルギーを消耗し
“うつ” になってしまう方が非常に多いような気がするのです。

『いつかたどり着くであろう未来の理想の自分』にばかり意識が向けられ
『今、この瞬間の現実の自分』は、すっかり置き去りになってしまっています。


では、どうすればいいのでしょうか・・・

ひとことで言ってしまえば
「無駄な頑張りをやめる」ことでしょうか。

・無理にやる必要がなく、やりたくないことは「やらない」
 (同じように、無理に人に会う必要がなく、会いたくない場合は「会わない」)
・それによって “手に入らない” ”失った” ものがあっても、受け入れる
・そして「これでいいか」と思える自分になる
 (「妥協しろ」という意味で言っているのではありません)

なかなか難しいですけどね。

ちょっとずつ自分に “言い聞かせる”

「これでいいんだ」
「こんな自分だっていいじゃないか」

くり返し、くり返し。


そうやって “できない自分” を少しずつ許していくことによって
『本来の自分』を取り戻すことができるのだと思います。

“うつ” の人に励ましはいけないのか?(1/2)

みなさま、いつもありがとうございます。

うつ・メンタルヘルスに関するテーマ。

メンタルヘルスやうつ病に関する情報のひとつに
「うつの人に「頑張れ」といって励ますのはNGですよ」
というのを耳にされた方も多いと思いますが、果たしてそれは本当なのでしょうか?


私なりの考え・・・ 一理あると思います。

確かに “うつ” の人は頑張っていると思います。

心理的に健康な人と比べてどうかということは一概に言えませんが
頑張っているのは確かだと思います。

ただ、その頑張りが正しいかと言われると
ちょっと疑問符が付くかもしれません。


どういうことか・・・

例えば、仕事において
心理的に健康な人が
「売り上げ目標を達成する」「製品で不具合を出さない」ために頑張っているのに対し
内的動機による頑張りがメイン)
“うつ” の人は
「会社や上司の期待に応える or 評価される」ために頑張っている
(良い評価をされるために「売り上げ目標を達成させる」「製品で不具合を出さない」ようにする)
外的動機による頑張りがメイン)
ところがやや強いように思えます。

そう。

本来の趣旨と目的が異なっているというか。
自分の価値・評価は他人によってはかられているという部分があるような気がします。

「人の役に立ちたい」という、誰もが持っているであろうこの思いは、裏を返せば
人の役に立ったという実感がないと、自分の価値を見いだせないという危険性を持ち合わせているため
ひいては「頑張りが足らない」「もっと頑張って人から認められないと」と罪悪感に苛まれ
結果、 “うつ” になってしまった・・・

(また、このほかにも、仕事や家庭、社会から課せられた役割と自分の意見・思い・体調などが乖離した状態(腹に落とし込めていない状態)で頑張ってしまっているというところもあると思います)


“うつ” になる人はこのことに気づけるかどうか。
また、自分の意見をしっかり周りに伝えることの大切さ、必要性を感じているかどうか。

そういった意味では “うつ” の人に対して「頑張れ」という言葉はNGかもしれないけれど
精神的に孤立させないためのフォローと、自分の意見や感じたことを
〔自分を主語にして〕言ってもらうためのサポートはかなり重要といえるかもしれません。
(専門用語で「アサーショントレーニング」といいます)
(その人なりの意見が出るまで繰り返し意識づけを行っていかないといけないので、ちょっと大変ですけどね)


ただ、もうひとつ。

昨今の成果主義や古くから残る『努力』『根性』といった精神論的思考が
自分たちを苦しめている要因のひとつであることを忘れてはなりません。


詳しくは次回書きたいと思います。