ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

明日につながる希望の哲学

眠れぬ夜に〔♯19〕『仕事をする』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯19〕

『仕事をする(しごとをする)』とは・・・
『創意工夫をすること』である。



〔解釈とヒント〕

「仕事が好きだ」と自信を持って言える人は
果たしてどのくらいいるでしょうか?

おそらく、それほど多くないと思います。

それは、多くの人々にとって『仕事』とは
生きるための手段としておこなっているからです。


そもそも『仕事』という概念は
昔から2つの分類で区別されてきました。

たとえば、古代ギリシャでは、奴隷に課せられていた肉体労働(プラクシス)と
自由市民の制作活動のような精神労働(ポイエーシス)という区別がされており
これを現代に “引き継いだ” のが、ドイツの思想家であるハンナ・アーレント(1906-1975)。 

彼女は、肉体労働をレイバー(労働)、精神労働をワーク(仕事)として使い分けました。

現代では(いや、昔からそうですが)肉体労働が “低く” 位置づけられているわけですが、それは
肉体労働が強制的に課せられる苦しいことの象徴として挙げられるものに対し
精神労働は本人がやりたくて行っていることの象徴・・・

言い換えると

肉体労働は受動的仕事であるのに対し、精神労働は能動的仕事

そう

仕事は、『受動的』と『能動的』の2種類が存在する

ことになります。


もちろん、好きで肉体労働をしている人もいるわけですが
(その逆で、好きでもないのに精神労働をしている人もいるわけですが)
『受動的』『能動的』という視点で考えた場合、両者の決定的違いは

『創意工夫があるか、ないか』

ということになると思います。

仕事に “やらされ感” を感じるのは、創意工夫をしないからであり
逆に “面白み” を感じるのは、創意工夫をしているからだといえます。

これが分かれば、話は簡単 ⁉

仕事を好きになるためには 創意工夫をすることから始める ということになります。

創意工夫と言っても、いきなり仕事の中で見つけるというのは難しいかもしれないので
仕事前の準備段階にて「どうしたら仕事に取り組みやすくなるのか」を
“創意工夫してみる” といいかもしれませんね。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯18〕『食事を摂る』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯18〕

『食事を摂る(しょくじをとる)』とは・・・
『「惜しい」と思うこと』である。



〔解釈とヒント〕

「ところで皆さん、きのうの夜は何を食べましたか?」

そう聞かれて、なかなかすっと答えが出てこない人も
実は結構多いのではないでしょうか。

それくらい食事を摂ることはあたりまえで
無意識で行っている行動のひとつだと言えます。


身体をつくる(もしくは維持する)ために、また、栄養を補給するために
すべての生物が行う、この『食事』という行為。

しかしながら、この『食事』の際に、人間だけが行うことがあります。

それは『儀式』です。

文化や宗教によって多少異なりますが
ほとんどが(食べ物に)何らかの感謝の意を表してから食べ始めます。

日本人は特に丁寧で
合掌して「いただきます」と唱和し、同様に合掌して「ごちそうさま」と唱和します。


では、なぜ私たちはこのような『儀式』を行うのでしょうか?

食事をつくってくれた人への感謝もあれば
その食材をつくってくれた農家の人たちへの感謝もあるでしょう。

はたまた、神や自然への感謝というのもあると思います。


日本の場合、本来の「いただきます」は、一拝一拍手のあと
「たなつもの 百(もも)も木草も 天照す 日の大神の めぐみ得てこそ」
という和歌を詠むのが正式な作法といわれています。

まさに神事ですよね。

欧米のキリスト教徒も同じように、神にお祈りを捧げてから食事をするわけですが
ベースにあるのは、日本と同様、自然の恵み、とりわけ命をいただいているところにあると思います。

にもかかわらず、現代はあまりにも何も考えず機械的に食事をするところがあるので
天の恵みに対する最低限の礼儀として、「おいしい、おいしい」と言って食べる必要があると思います。


ここでひとつ、「おいしい」の語源について考えてみると・・・

「好ましい」とか「優れている」という意味を示す
「いし」が変化したものと言われていますが
この「いし」を「惜しい」と捉えてみてはいかがでしょうか。

口に入れたものを「おいしい」と感じるのは、ほんの一瞬です。

喉に入ってしまえば、もう味は分かりません。

だからこそ、その一瞬を惜しいという気持ち
これが「おいしい」ということの意味だと捉えるといいかもしれません。

そうすると、普段何気なく摂る食事であっても
もっとゆっくり、味わって食べたいと思うようになるのではないでしょうか。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯17〕『服を選ぶ』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯17〕

『服を選ぶ(ふくをえらぶ)』とは・・・
『なるべき自分を選ぶこと』である。



〔解釈とヒント〕

私自身苦手なものに『洋服選び』があります。

お店で服を買うとき、自分がどんな服を着たいのか分からず
何回も試着を繰り返し、ものすごく悩むのは言うまでもなく
きょう1日どんな服を着るかということさえ困ることがあります。


ちなみに、おしゃれを上手に楽しめる人は
その日のTPOに合わせて服を選ぶことができますし
まったく無頓着な人はいつも同じような服ばかり着ているわけですが
その人を構成する要素のひとつに、また、その人を印象付けるものとして
服が重要な位置を示すことに無視できないところがあると思います。

というのは、服装は第一印象を決めるだけでなく、その人のキャラクターにもなるからです。
(いつも決まった格好で出てくる芸能人などは、その典型といってもいいでしょう)

つまり、服装はその人の『人格』の一部。

ダークスーツを着ている人はカチッとした性格を
派手な色のシャツを着ている人は外交的な性格を表現しているのです。

また、その日の仕事に合わせて服装を変えるということは
その日の自分の態度や方針を服装から表現することになるのです。

いくら真剣な雰囲気を出したくても
顔を簡単に変えることはできないですよね。

表情、髪型、メークを変えることに限界があるわけですが
その点、服装であればいとも簡単かつ大胆に印象を変えることができるのです。

このほかにも、『勝負服』なんて言葉があるように
服を選ぶということは、その日自分が戦う相手や獲物に合わせて
武器を選ぶことに等しいということが言えるかもしれません。


また(少し大それた話になってしまうかもですが)
『生きる』ということは、何らかの意味で勝負すると言えるので
私たちは毎日勝負するために服を選んでいるという言い方もできます。

いわば、その日なるべき自分を選んでいる のです。

つまり『なりたい自分』は、服装を選ぶことによって得られる わけです。

 ・・・ちなみに、裁判官が黒い服を着ているのは
    「何ものにも染まらない」という意味を含んでいるそうです。


少し逆の見方をすると
服装で自分をコントロールするということが言えるかもしれませんね。

イライラするときは落ち着いた色やデザインの服を着てみたり
落ち込んでいるときは明るい色や遊び心のあるデザインの服を着てみたり・・・


これから服を選ぶとき、そういったことを意識して選ぶようになると
少し自分に自信がもてるようになるかもしれません。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯16〕『通勤する』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯16〕

『通勤する(つうきんする)』とは・・・
『時間を有効に使うこと』である。



〔解釈とヒント〕

都会の電車通勤は地獄です。

またマイカー通勤にしても、ノロノロだったり
危険な運転をする人もいて、ストレスが溜まります。

その一方で、通勤時間は『自分(だけ)の時間』という見方もできます。

職場や学校などでは、もう自由にしていられないし
家にいる時間も、朝はあれこれ忙しいし
夜もあれこれしている間に、すぐに寝る時間になってしまいますよね。

そんな忙しい毎日を送る人にとってみれば
そのような見方(『通勤時間』を『自分の時間』とみる)が特に必要なのかもしれません。


このように、物事全体に対する一部の者の見方を変えることを
『構造主義』という言い方をするのですが
先ほどの例をもう少し詳しく書いてみると・・・

 『1日という時間を全体構造で見たとき
  通勤時間は、地獄の時間であるその一方で
  唯一プライベートを確保できる時間という見方もできる』


ということになります。

そのため、電車の中では
自己啓発に励む人、好きな音楽を楽しみ人
読書にふける人、睡眠を補う人がいるわけですし

また、マイカー通勤にしても
仕事場に向かう時であれば、その日に行われる会議のシミュレーションを頭の中でしてみたり
仕事場から家に帰る時であれば、気分にあった音楽をかけたり、“クールダウン” してみたり・・・

そういった意味では、よくある『ポジティブシンキング』というのも
この構造主義に似たようなところがあるかもしれません。


ついでに! というわけではないですが
ちょっとここで “計算” してみましょうか。。

もし仮に、片道1時間かけて通勤したとすると・・・

1年(240日出勤)で480時間 → 20日間に相当

それを、40年間がんばって続けたとすると・・・

20〔日間〕×40〔回〕=800〔日間〕 → 2年2ヶ月ちょっとに相当

つまり、一生のうち通勤にかけている時間は、2年2ヶ月ちょっとにもなるわけです。
これはもう、有効活用するしかないですよね。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)
 

眠れぬ夜に〔♯15〕『健康』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯15〕

『健康(けんこう)』とは・・・
『仕事の能力』である。



〔解釈とヒント〕

ところでみなさま、現在の身体の状態はいかがでしょうか?
健康ですか? それとも・・・?

いずれにしろ、病気にまではならないにしても
身体の調子が悪かったり、疲れていたりすることによって
仕事などのパフォーマンスが下がったり、やる気が出なかったり
かえってなかなか寝付けなかったりするという経験は、一度はされたことがあると思います。

健康であってこそいい仕事ができるわけですからね。


フランスの哲学者に、メルロ・ポンディ(1908-1961)という人がいるのですが
彼は身体の大切さについて哲学的に考察をした初めての人物と言われています。

そんな彼が『身体』というものを

「私たちが物を見たり、触ったりして外の世界を知覚するのは
 すべて自分たちの身体を通じて行われている」

と表現したわけですが
(「そんなもん、あたりまえじゃん」と言われてしまうのでもう少し踏み込んで書くと)

身体こそが私たちの世界や心を作っている =(身体は)外の世界と自分とをつなぐ唯一の手段

つまり、身体というものが単に『自分の身体』という枠を超えて
世界と自分とをつなぐ『媒体物』として定義したことです。

そうなると、身体が病んでいては、まともに社会につながることはできないですよね。

仕事ができなくなるのはもちろんのこと
他者とのコミュニケーションもうまくいくはずがないと思います。


もっとも、ここでいう『健康』とは
「病気をしない」ということだけではなく、「身体能力が高い」ということも含まれてくるわけですが。

(どれだけよく “動けるか” が仕事にとって大事な要素となるので)


そしてもうひとつ、忘れてならないのが『こころの健康』

文頭の冒頭に「疲れているとやる気が出なくなる」といったように
身体と心はつながっていることをちゃんと知っておく必要があると思います。

(やる気がなくなって “うつ” になってしまったら、どうしようもないですからね)

人間が社会生活を営む限り、身体はそのための “インターフェイス”
常日頃からかなり意識をして身体をいたわる必要がありそうです。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯14〕『運命』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯14〕

『運命(うんめい)』とは・・・
『強く生きるための条件』である。



〔解釈とヒント〕

ふと、自暴自棄になりかけたついでに
「どうして自分はこんな家に生まれてきたんだろう」とか
「どうして自分ばかりこんな嫌な目に合うんだろう」など
自分の運命が嫌になることはありませんか?

その運命というもの・・・

何かしらの困難や努力の過程において「乗り越えられる」という発想もできますし
その困難や努力を克服した際「乗り越えられる運命だった」ということも
(当事者であれば)ある意味自慢げに言うことができるわけですが、悲しいことに、すべては結果論。

なので、結局のところ「運命は神のみぞ知る」ということになり
運命を乗り越えられたかどうかは、誰も確証を持つことができません。

そう。運命とは基本的に逃れられないもの。

そのため「どうせ神様が運命を決めているのだから、努力しても無駄だ」と
つい考えたくなります。

この「どうせやってもダメなら、やらない方がいい」という態度は
ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)のいう
ニヒリズム(虚無主義)という考え方なのですが、この考えは
決していい結果をもたらすものでないことはなんとなく想像がつきますよね。

(何もとげられないまま人生を終えてしまう可能性がある)


そこでもうひとつニーチェが出し導いたものがあり
それは『運命愛』という考え方。

説明すると・・・

基本的に苦しいことばかりで、その苦しさから逃れることができないこの世の中・・・
であれば(ある意味開き直って)「運命を受け入れてしまいましょう」という態度のことです。

逃げても仕方ないなら、受け止めるしかなく
まさに「運命を愛しましょう」ということ。

それができたときにはじめて人間は人間であることを超越し『超人』になれるというわけ。

『超人』とは強く生きることのできる人のメタファー(例え)だと言えるので
そういった意味では、『運命』とは『強く生きるための条件』のようなものなのかもしれません。


そして最後に、もうひとつ。

『運命』は「命を運ぶ」と書きますよね。

困難にもめげず “命を運び続ける” ために
私たちは運命が必要だということができると思います。

そのためには、失敗も含め、すべてを受け入れる強さが必要なのかもしれません。

失敗を隠さない人ほど強い人はいないですからね。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯13〕『コンプレックス』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯13〕

『コンプレックス(こんぷれっくす)』とは・・・
『セールスポイント』である。



〔解釈とヒント〕

「私はAさんより口下手だ」とか
「私はBさんより見た目で劣っている」など
自分のコンプレックスに落ち込んで眠れないということはありませんか?

そこまでひどくはないにしても
人間、誰もがコンプレックスを持っているもの・・・

大事なのは、そのコンプレックスとどう付き合っていくかにあると思います。


昨今、すっかり有名になった
オーストリアの心理学者、アルフレッド・アドラー(1870-1937)は

「劣等感を抱くからこそ、人は成長するのだ」

と言っています。


確かに、私たちは「人より劣っている」という事実を認識すると
いったんは落ち込みますが、それと同時に初めて『努力する』契機を得られる わけです。

もう一歩踏み込んで書いてみると・・・

「人より劣っていること」だけをコンプレックスと捉えがちですが
もともとのコンプレックスはというと『感情複合』『心的複合体』とも訳され
“抑圧された感情” のことを指します。

つまりは、人より優れている部分もコンプレックスになりうるということ。

(そもそも、「優れている」「劣っている」というのは、その人の “明確な基準なき評価” に過ぎない)


人は本来、完璧な存在ではないですし、一人として同じ者は存在しないので
(人と比べて)劣っていると思おうが、優れていると思おうが
それを『個性』として、または『セールスポイント』として
うまく捉えることができればいいのかなと思います。

(まさに『オンリー・ワン』というやつですね)


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯12〕『家族』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯12〕

『家族(かぞく)』とは・・・
『助け合いの集団』である。



〔解釈とヒント〕

家族のことで悩んでいる人はものすごく多いと思います。

例えば

・親の期待に応えないといけないと思って悩む
・夫婦や親子、兄弟の仲が悪くて悩む
・家を継がなくてはいけないと思って悩む

さらに大きなところでいくと

・家庭内暴力 ・引きこもり ・虐待やDV

etc…

では、なぜこれほどまでに家族のことで思い悩んでしまうのでしょうか・・・

それは、いうまでもなく
『血縁関係』にある人だからということになると思います。


しかし、もともと英語の『family』という言葉は
『血族』を意味するものではありませんでした。

『family』の語源であるラテン語の『familia(ファミリア)』には
『財産』という意味の他、『経済的な集団』の意味があり
血族だけでなく従者もその一員として数えられていました。

したがって、血縁関係にあるからといって
必ずしも運命共同体のように思いこむ必要はないという言い方も
見方によってはできると思います。


大事なのは、血縁関係にあろうがなかろうが
自分の属している集団が、生きるためにお互い助けられる集団であるかどうか ということ。

喜び・悲しみ・怒り・憎しみ etc…

これらのものをお互いに共有しあい
より “分かり合える” 関係でいられるような・・・

そう。

家族とは『助け合いの集団』であり、血はつながっていなくても家族にはなれるのです。

メンタルヘルス対策で大切なことは
その所属している団体が、この『家族』の解釈(助け合いの集団)のような関係にあるかどうか・・・

とても大きなカギであるような気がします。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯11〕『モチベーション』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯11〕

『モチベーション(もちべーしょん)』とは・・・
『達成感の産物』である。



〔解釈とヒント〕

仕事でも何でもそうですが、モチベーションが下がると
明日がつまらなくなってきますよね。

モチベーションの語源が『モチーフ(動機)』からきているように
モチベーションとは、すべての原動力のことを指します。
(学校の授業で取り入れていいくらい重要視すべき事柄と言えます)


ところで皆さんは、どのようにしたらモチベーションが上がると思いますか?

初心を思い出す?

ご褒美をもらう?

叱咤激励をしてもらう?

いろいろあると思いますが、ここで重要視するのは『達成感』です。

結果が出ず、やる気がどんどん失われてしまった一方で
結果が出たため、どんどんやる気がわいたという経験をされたという方も、きっと多いと思います。

(子供を見るとわかりやすいですよね)


このことに対して、アメリカに『プラグマティズム』という思想(下記)があるのですが

 「何かの役に立てば、それが正しい」
 「結果が出れば、それでいい」


この思想を実践したのが、アップル社の創設者、スティーブ・ジョブズ(1955-2011)。

iPhoneをはじめ数多くの製品を世に送り出し、それまでの生活に革命を与えた一方で
味わった挫折も数限りなく多かったと思うのですが、チャレンジし続けることができたのは
(たとえそれがたまたまであったとしても)うまくいったときの喜びが忘れられなかったからなのではないでしょうか。


では『達成感』に関する話をもうひとつ。

子どもに対し、どうしたら勉強を好きになるか聞いたところ、口をそろえていったことは

「勉強が分かれば好きになる」

ということだったそうです。

これは、達成感が得られれば誰かに言われなくても
自ら勉強するということにつながりそうです。

またこの理屈は、何も子どもに限らず、大人にも当てはまりますね。

ただ大人は、様々な経験を重ねたことで、そう簡単に達成できるものが少なくなってしまったため
その喜び(達成感)を “忘れている” ようなところがあるかもしれません。

そのため、どんな小さなことでもいいので 日々の達成感を大切にする ことこそ
明日を生きるための大きなヒントが隠されているような気がします。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯10〕『寿命』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯10〕

『寿命(じゅみょう)』とは・・・
『自分に課せられた使命』である。



〔解釈とヒント〕

眠りにつく際、ふと、自分の寿命が尽きることを考え
「このまま眠りについたら、死んでしまうのかもしれない」
と考えたことはありませんか?

ちなみに、日本の平均寿命は
男性で81.09歳、女性で87.26歳。
(『平成29年簡易生命表』厚生労働省)

世界的に長寿と言われているわけですが、逆に言うと
人はせいぜい、それくらいしか生きられないということができます。


寿命は人生の終わりを意味するわけですが
なぜ、『寿』というおもでたい漢字がつかわれているのでしょうか?

それは、『寿命』が祝うべきもの として考えられていることになります。

(命を讃えているという言い方もできると思います)


地球の歴史において、人ひとりの寿命はほんの一瞬ですが
1人の人間の命は、それまでの多くの人間の命とつながっており
これからの多くの命とつながっていくことになります。

古くは平安時代から、もっと先の石器時代から・・・

いわば、その “命のリレー” において
自分が走りぬくべき区間を懸命に走りぬいた。

『寿命を祝う』ということは、その使命を果たしたことの称賛を意味する

ことになります。


地球全体から見れば、ひいては、宇宙から見れば
どの命も同じようなものに見えるかもしれませんが
一時(いっとき)として同じ命は存在せず
一人ひとりが全く異なる存在でそれぞれの使命を果たしていることになります。

(各々の使命を果たすべき『細胞』のようなものかもしれませんね)


そう。

毎日同じような日々が繰り返されているようで
同じ日は二度とやってこない・・・

もちろん、明日も。

だからこそ、もっと大切に生きていく必要があるように思えてなりません。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)