ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

明日につながる希望の哲学

眠れぬ夜に〔♯15〕『健康』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯15〕

『健康(けんこう)』とは・・・
『仕事の能力』である。



〔解釈とヒント〕

ところでみなさま、現在の身体の状態はいかがでしょうか?
健康ですか? それとも・・・?

いずれにしろ、病気にまではならないにしても
身体の調子が悪かったり、疲れていたりすることによって
仕事などのパフォーマンスが下がったり、やる気が出なかったり
かえってなかなか寝付けなかったりするという経験は、一度はされたことがあると思います。

健康であってこそいい仕事ができるわけですからね。


フランスの哲学者に、メルロ・ポンディ(1908-1961)という人がいるのですが
彼は身体の大切さについて哲学的に考察をした初めての人物と言われています。

そんな彼が『身体』というものを

「私たちが物を見たり、触ったりして外の世界を知覚するのは
 すべて自分たちの身体を通じて行われている」

と表現したわけですが
(「そんなもん、あたりまえじゃん」と言われてしまうのでもう少し踏み込んで書くと)

身体こそが私たちの世界や心を作っている =(身体は)外の世界と自分とをつなぐ唯一の手段

つまり、身体というものが単に『自分の身体』という枠を超えて
世界と自分とをつなぐ『媒体物』として定義したことです。

そうなると、身体が病んでいては、まともに社会につながることはできないですよね。

仕事ができなくなるのはもちろんのこと
他者とのコミュニケーションもうまくいくはずがないと思います。


もっとも、ここでいう『健康』とは
「病気をしない」ということだけではなく、「身体能力が高い」ということも含まれてくるわけですが。

(どれだけよく “動けるか” が仕事にとって大事な要素となるので)


そしてもうひとつ、忘れてならないのが『こころの健康』

文頭の冒頭に「疲れているとやる気が出なくなる」といったように
身体と心はつながっていることをちゃんと知っておく必要があると思います。

(やる気がなくなって “うつ” になってしまったら、どうしようもないですからね)

人間が社会生活を営む限り、身体はそのための “インターフェイス”
常日頃からかなり意識をして身体をいたわる必要がありそうです。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯14〕『運命』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯14〕

『運命(うんめい)』とは・・・
『強く生きるための条件』である。



〔解釈とヒント〕

ふと、自暴自棄になりかけたついでに
「どうして自分はこんな家に生まれてきたんだろう」とか
「どうして自分ばかりこんな嫌な目に合うんだろう」など
自分の運命が嫌になることはありませんか?

その運命というもの・・・

何かしらの困難や努力の過程において「乗り越えられる」という発想もできますし
その困難や努力を克服した際「乗り越えられる運命だった」ということも
(当事者であれば)ある意味自慢げに言うことができるわけですが、悲しいことに、すべては結果論。

なので、結局のところ「運命は神のみぞ知る」ということになり
運命を乗り越えられたかどうかは、誰も確証を持つことができません。

そう。運命とは基本的に逃れられないもの。

そのため「どうせ神様が運命を決めているのだから、努力しても無駄だ」と
つい考えたくなります。

この「どうせやってもダメなら、やらない方がいい」という態度は
ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)のいう
ニヒリズム(虚無主義)という考え方なのですが、この考えは
決していい結果をもたらすものでないことはなんとなく想像がつきますよね。

(何もとげられないまま人生を終えてしまう可能性がある)


そこでもうひとつニーチェが出し導いたものがあり
それは『運命愛』という考え方。

説明すると・・・

基本的に苦しいことばかりで、その苦しさから逃れることができないこの世の中・・・
であれば(ある意味開き直って)「運命を受け入れてしまいましょう」という態度のことです。

逃げても仕方ないなら、受け止めるしかなく
まさに「運命を愛しましょう」ということ。

それができたときにはじめて人間は人間であることを超越し『超人』になれるというわけ。

『超人』とは強く生きることのできる人のメタファー(例え)だと言えるので
そういった意味では、『運命』とは『強く生きるための条件』のようなものなのかもしれません。


そして最後に、もうひとつ。

『運命』は「命を運ぶ」と書きますよね。

困難にもめげず “命を運び続ける” ために
私たちは運命が必要だということができると思います。

そのためには、失敗も含め、すべてを受け入れる強さが必要なのかもしれません。

失敗を隠さない人ほど強い人はいないですからね。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯13〕『コンプレックス』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯13〕

『コンプレックス(こんぷれっくす)』とは・・・
『セールスポイント』である。



〔解釈とヒント〕

「私はAさんより口下手だ」とか
「私はBさんより見た目で劣っている」など
自分のコンプレックスに落ち込んで眠れないということはありませんか?

そこまでひどくはないにしても
人間、誰もがコンプレックスを持っているもの・・・

大事なのは、そのコンプレックスとどう付き合っていくかにあると思います。


昨今、すっかり有名になった
オーストリアの心理学者、アルフレッド・アドラー(1870-1937)は

「劣等感を抱くからこそ、人は成長するのだ」

と言っています。


確かに、私たちは「人より劣っている」という事実を認識すると
いったんは落ち込みますが、それと同時に初めて『努力する』契機を得られる わけです。

もう一歩踏み込んで書いてみると・・・

「人より劣っていること」だけをコンプレックスと捉えがちですが
もともとのコンプレックスはというと『感情複合』『心的複合体』とも訳され
“抑圧された感情” のことを指します。

つまりは、人より優れている部分もコンプレックスになりうるということ。

(そもそも、「優れている」「劣っている」というのは、その人の “明確な基準なき評価” に過ぎない)


人は本来、完璧な存在ではないですし、一人として同じ者は存在しないので
(人と比べて)劣っていると思おうが、優れていると思おうが
それを『個性』として、または『セールスポイント』として
うまく捉えることができればいいのかなと思います。

(まさに『オンリー・ワン』というやつですね)


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯12〕『家族』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯12〕

『家族(かぞく)』とは・・・
『助け合いの集団』である。



〔解釈とヒント〕

家族のことで悩んでいる人はものすごく多いと思います。

例えば

・親の期待に応えないといけないと思って悩む
・夫婦や親子、兄弟の仲が悪くて悩む
・家を継がなくてはいけないと思って悩む

さらに大きなところでいくと

・家庭内暴力 ・引きこもり ・虐待やDV

etc…

では、なぜこれほどまでに家族のことで思い悩んでしまうのでしょうか・・・

それは、いうまでもなく
『血縁関係』にある人だからということになると思います。


しかし、もともと英語の『family』という言葉は
『血族』を意味するものではありませんでした。

『family』の語源であるラテン語の『familia(ファミリア)』には
『財産』という意味の他、『経済的な集団』の意味があり
血族だけでなく従者もその一員として数えられていました。

したがって、血縁関係にあるからといって
必ずしも運命共同体のように思いこむ必要はないという言い方も
見方によってはできると思います。


大事なのは、血縁関係にあろうがなかろうが
自分の属している集団が、生きるためにお互い助けられる集団であるかどうか ということ。

喜び・悲しみ・怒り・憎しみ etc…

これらのものをお互いに共有しあい
より “分かり合える” 関係でいられるような・・・

そう。

家族とは『助け合いの集団』であり、血はつながっていなくても家族にはなれるのです。

メンタルヘルス対策で大切なことは
その所属している団体が、この『家族』の解釈(助け合いの集団)のような関係にあるかどうか・・・

とても大きなカギであるような気がします。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯11〕『モチベーション』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯11〕

『モチベーション(もちべーしょん)』とは・・・
『達成感の産物』である。



〔解釈とヒント〕

仕事でも何でもそうですが、モチベーションが下がると
明日がつまらなくなってきますよね。

モチベーションの語源が『モチーフ(動機)』からきているように
モチベーションとは、すべての原動力のことを指します。
(学校の授業で取り入れていいくらい重要視すべき事柄と言えます)


ところで皆さんは、どのようにしたらモチベーションが上がると思いますか?

初心を思い出す?

ご褒美をもらう?

叱咤激励をしてもらう?

いろいろあると思いますが、ここで重要視するのは『達成感』です。

結果が出ず、やる気がどんどん失われてしまった一方で
結果が出たため、どんどんやる気がわいたという経験をされたという方も、きっと多いと思います。

(子供を見るとわかりやすいですよね)


このことに対して、アメリカに『プラグマティズム』という思想(下記)があるのですが

 「何かの役に立てば、それが正しい」
 「結果が出れば、それでいい」


この思想を実践したのが、アップル社の創設者、スティーブ・ジョブズ(1955-2011)。

iPhoneをはじめ数多くの製品を世に送り出し、それまでの生活に革命を与えた一方で
味わった挫折も数限りなく多かったと思うのですが、チャレンジし続けることができたのは
(たとえそれがたまたまであったとしても)うまくいったときの喜びが忘れられなかったからなのではないでしょうか。


では『達成感』に関する話をもうひとつ。

子どもに対し、どうしたら勉強を好きになるか聞いたところ、口をそろえていったことは

「勉強が分かれば好きになる」

ということだったそうです。

これは、達成感が得られれば誰かに言われなくても
自ら勉強するということにつながりそうです。

またこの理屈は、何も子どもに限らず、大人にも当てはまりますね。

ただ大人は、様々な経験を重ねたことで、そう簡単に達成できるものが少なくなってしまったため
その喜び(達成感)を “忘れている” ようなところがあるかもしれません。

そのため、どんな小さなことでもいいので 日々の達成感を大切にする ことこそ
明日を生きるための大きなヒントが隠されているような気がします。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯10〕『寿命』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯10〕

『寿命(じゅみょう)』とは・・・
『自分に課せられた使命』である。



〔解釈とヒント〕

眠りにつく際、ふと、自分の寿命が尽きることを考え
「このまま眠りについたら、死んでしまうのかもしれない」
と考えたことはありませんか?

ちなみに、日本の平均寿命は
男性で81.09歳、女性で87.26歳。
(『平成29年簡易生命表』厚生労働省)

世界的に長寿と言われているわけですが、逆に言うと
人はせいぜい、それくらいしか生きられないということができます。


寿命は人生の終わりを意味するわけですが
なぜ、『寿』というおもでたい漢字がつかわれているのでしょうか?

それは、『寿命』が祝うべきもの として考えられていることになります。

(命を讃えているという言い方もできると思います)


地球の歴史において、人ひとりの寿命はほんの一瞬ですが
1人の人間の命は、それまでの多くの人間の命とつながっており
これからの多くの命とつながっていくことになります。

古くは平安時代から、もっと先の石器時代から・・・

いわば、その “命のリレー” において
自分が走りぬくべき区間を懸命に走りぬいた。

『寿命を祝う』ということは、その使命を果たしたことの称賛を意味する

ことになります。


地球全体から見れば、ひいては、宇宙から見れば
どの命も同じようなものに見えるかもしれませんが
一時(いっとき)として同じ命は存在せず
一人ひとりが全く異なる存在でそれぞれの使命を果たしていることになります。

(各々の使命を果たすべき『細胞』のようなものかもしれませんね)


そう。

毎日同じような日々が繰り返されているようで
同じ日は二度とやってこない・・・

もちろん、明日も。

だからこそ、もっと大切に生きていく必要があるように思えてなりません。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯9〕『自己啓発』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯9〕

『自己啓発(じこけいはつ)』とは・・・
『大局に物事を見る訓練』である。



〔解釈とヒント〕

先行き不安定で、終身雇用もままならなくなったこの時代。

パソコン、英会話、各種資格取得のための勉強等
眠れない夜に『自己啓発』をしているという方もいらっしゃるかもしれません。

ただ、本来の『自己啓発』というのは
今日使われているような即物的なものではなく
自身の頭の中でじっくり考えて答えを導くことを言うようです。

ちなみに、『自己啓発』を英語では『enlightnment』と言い
「暗い部分を光で照らすこと」ということになります。

(ここでいう『暗い部分』とは、自分の分かっていない・知らないことを指す)


知らないこと、気づいていないことを知るというのは
人間にとってとっても大きな意味を持ち
それを知らないまま過ごしていくことはよくないことだということになります。

(無知で恥ずかしい経験をしてしまったという方もいらっしゃるのでは)


たとえば、今の時代、男女平等があたりまえの世の中になりましたが
そのことを知らない男性が女性に対し、家来のような扱い方をしていたら、どうでしょうか?

きっと周囲の人は不快に思うでしょうし
ひいては、差別的発言をしたり人権侵害になるような扱いをしたりと
トラブルばかり起こす人物になってしまうかもしれません。
(法に触れて警察沙汰なんてことも・・・)


つまり、大人になって『社会の一員』として生活していくためには
「知らなかった」で済まされるわけにはいかず
「できるだけ知っておく必要がある」ことになります。

さきほどの『暗い部分』を例にあげると
光の当たっていない場所(自分の分かっていない・知らないこと)に気づくには
一歩引いて全体を見る(大局に見る)必要があり、端的に言うと

『自己啓発』=『大局的に物事を見る訓練をすること』

になります。


ちなみに、啓蒙主義の思想家である福沢諭吉(1835-1901)は
著書『学問のすゝめ』の中で
「疑いの世界に真理多し」という言葉を残しています。

つまり、大局的に物事を見るためには
目の前にあるもっともらしいことを『疑う』ことから始めるといいのかもしれません。

もちろん、疑いすぎるのもよくないですが
素直すぎて視野が狭いままだったなんでこともあったりしますので
一歩引いて、全体が見れるような・・・
(高いところから、俯瞰して見れるような・・・)
そんな訓練を日ごろからしておくことが、確かに必要なのかもしれませんね。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯8〕『愛情』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯8〕

『愛情(あいじょう)』とは・・・
『自分のことを思う気持ち』である。



〔解釈とヒント〕

片思いの人を思い出したり、恋愛がうまくいってないとき
仕事や勉強が手につかなかったり、なかなか眠れなかったという経験をお持ちの方・・・

きっと多いと思います。

なぜ、ここまで心が “かき乱れる” のでしょうか?


それは、恋愛の本質が「相手を追い求める」ことにあるからであり
古代ギリシャの哲学者、プラトン(前427-前347)は
「恋愛の本質は『エロス』だ」と唱えました。

『エロス』とは「理想の状態を追い求めること」を意味します。

だから、“憧れ” になるのです。

理想の姿にあこがれる純粋な愛。

そこから、『純愛』は『プラトン的愛』だということで
『プラトニック・ラブ』と呼ばれるようになりました。


ちなみに、『愛』には3つの種類が存在していると言われています。

上に書いた『エロス』の他に

アリストテレスによって唱えられた『フィリア』
(『フィリア』=友愛、同胞愛)

キリストによって唱えられた『アガペー』
(『アガペー』=無償の愛)

があり、これら3つの違いをもう少し端的に言うと

『エロス』   = 一方的な憧れ、自分自身を愛すること
『フィリア』= 相手を自分のように愛すること
『アガペー』= 自分よりも相手の方を愛すること


となります。


このように、愛には3つの種類が存在するため
1人の人間が同時に複数の愛を持つことができます。
(妻に『エロス』、友人に『フィリア』、子どもに『アガペー』といった具合に)

また、人は愛の結果生まれ、人からの愛を受け取って育てられ
やがて人に愛を与えたり求めたりする存在になるわけですが、一方で
成長過程において「人からの愛を受け取って育てられた」部分が欠けていると
うまく愛を求めたり与えたりすることができなくなってしまう可能性があります。
(つまり、上手な恋愛ができない)


例えば
「ついつい恋人にきつい言葉を浴びせてしまう」と悩んでいたとしたら・・・

もしたしたら、小さいころ
親に同じようなきつい言葉を言われたことがあるのかもしれません。
(きつい言葉は、実は『愛情の裏返し』なのかも)

そうやって原因を一つひとつ丁寧につぶして
自分自身が育ってきた “愛の理解” が高まれば
いずれは、とてもステキな恋愛ができるものと思います。

また、恋愛は相手のあることなので
なかなか思い通りにならず、大いに悩んだり苦しんだりするわけですが
結局のところ、自分の気持ち次第というところに落ち着くような気がします。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯7〕『蔑み』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯7〕

『蔑み(さげすみ)』とは・・・
『平等への希求』である。



〔解釈とヒント〕

『人を蔑む』という行為・・・
(なかには、そればかりしている人もいるようですが)

人を蔑んでしまったことで、あとで後悔したという経験をされた方も
きっと多いのではないでしょうか。

何かしらの事情や自身の欲求を満たすために
人はついつい、身近にいる人のことを蔑んでしまうわけですが
いったいどんなときに蔑んでしまうのでしょうか?


『蔑み』は『軽蔑』と言い換えることができます。

『軽蔑』とは、「自分の方が上である」という意識。

つまり、見下しているということになります。


では、なぜ人は自分より劣っている(と感じている)人を蔑むのでしょうか?

人を蔑むことで「優越感を得たいから」というのが
もっともな理由のひとつですが
優越感を得たいのであれば、自分の中でほくそ笑んでいればよく
必ずしも人を蔑む必要はありません。

なのに、人を蔑まずには “いられない” ・・・


結局のところ

(蔑んでいる相手に)『何かを求めている、期待している』

部分があると思います。

 ・・・上司が部下に、親が子どもにそのような態度をとるのは
    「お前はもっとできるはずだ(なのにやろうとしないから…)」
    という気持ちが ”偏った形で” 出てしまっている。
    (上司・親である自分が、人を育てられないことに『恐れ』を抱いている)


また、社会のなりたちにおいて
人は、対立の中で他者を認めないことには、自分が存立できないことに気づきます。

(負ける人がいるから勝つ人が出てくるように)
(『悪』があるからこそ『善』が引き立つように)

もうすこしわかりやすく言うと
人は、自分以外の他者の存在を認めることで、はじめて自分の存在を認めることができます。

(他者が何らかの意見を言うことによって、はじめて自分に「それは違う」という意見が生じることって、ありますよね)

これを『総合承認』といいます。


人々が暮らし、生きる共同体では
誰もが『総合承認』を行っていることになります。

よって、『蔑む』という行為の根底にも
ほんとうはこういった『総合承認』の欲求が関連しているようなところが
きっとあるのだと思います。


さきほどの上司と部下、親と子どもとの関係のように。

ちょっと難しいですけどね。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯6〕『憐れみ』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔#6〕

『憐れみ(あわれみ)』とは・・・
『すごいと称賛すること』である。



〔解釈とヒント〕

普段の生活において感情を素直に出すということはあまりないし
実はなかなか『できない』ことだと思います。

もし家に帰って眠りにつくとき
感情を言葉にすると、どのような言葉が出てくるでしょうか・・・

「毎日つらい、身体が重い」
「評価されずに悔しい」
「○○にあんなことを言われて、すごくむかつく」
「ちょっともう泣きたい気分」
「こんなに頑張っているのに、全然報われない」


etc…

人によっては、そんな言葉ばかり出てくるかもしれません。

また、そんな姿を仮に見てしまった場合
見た人は(その人を見て)憐れむ気持ちを持つかもしれません。


でも、人にどう思われようと
感情を外に出してみると『気持ちがいい』ことは
誰もが経験あると思います。
(『カタルシス』なんていいますね)


今でこそ『憐れ』という言葉は、否定的な意味で使われますが
本来の意味は、みなさんも古文の授業で習ったことがあるように

「深くしみじみと心をひかれること」

です。

泣くことも弱音を吐くことも
本来、人間として〔あたりまえの〕〔自然な〕姿。

そしてもうひとつ、この『憐れ』について
『もののあはれ論』を展開した江戸時代の国学者、本居宣長(1730-1801)によると

「もののあはれ」とは
人が物事に触れたとき、そのものの本質を直感的に感じ取り
素直に深く心を動かすさま


のことをいうそうです。

つまり、「あはれ」とは
「ああ」「はれ」と心が感動した声がそのまま感嘆として外に出たもの なのであり
美しいものを見て素直に美しいと感じるといった人間性の自然の表れをいうわけです。


この社会では、感情を外に出すことのできない人が多いわけですが
感情を出すということは、人間としての大事な本質であるので
弱音を吐いた人を見て『憐れむ』のではなく
むしろ「あっぱれ」と言えるような社会になればいいなと思います。

(ただし、『感情を出す』ことと『感情的になる』ことをしっかり区別しないといけないですけどね)


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)