ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

明日につながる希望の哲学

眠れぬ夜に〔♯6〕『憐れみ』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔#6〕

『憐れみ(あわれみ)』とは・・・
『すごいと称賛すること』である。



〔解釈とヒント〕

普段の生活において感情を素直に出すということはあまりないし
実はなかなか『できない』ことだと思います。

もし家に帰って眠りにつくとき
感情を言葉にすると、どのような言葉が出てくるでしょうか・・・

「毎日つらい、身体が重い」
「評価されずに悔しい」
「○○にあんなことを言われて、すごくむかつく」
「ちょっともう泣きたい気分」
「こんなに頑張っているのに、全然報われない」


etc…

人によっては、そんな言葉ばかり出てくるかもしれません。

また、そんな姿を仮に見てしまった場合
見た人は(その人を見て)憐れむ気持ちを持つかもしれません。


でも、人にどう思われようと
感情を外に出してみると『気持ちがいい』ことは
誰もが経験あると思います。
(『カタルシス』なんていいますね)


今でこそ『憐れ』という言葉は、否定的な意味で使われますが
本来の意味は、みなさんも古文の授業で習ったことがあるように

「深くしみじみと心をひかれること」

です。

泣くことも弱音を吐くことも
本来、人間として〔あたりまえの〕〔自然な〕姿。

そしてもうひとつ、この『憐れ』について
『もののあはれ論』を展開した江戸時代の国学者、本居宣長(1730-1801)によると

「もののあはれ」とは
人が物事に触れたとき、そのものの本質を直感的に感じ取り
素直に深く心を動かすさま


のことをいうそうです。

つまり、「あはれ」とは
「ああ」「はれ」と心が感動した声がそのまま感嘆として外に出たもの なのであり
美しいものを見て素直に美しいと感じるといった人間性の自然の表れをいうわけです。


この社会では、感情を外に出すことのできない人が多いわけですが
感情を出すということは、人間としての大事な本質であるので
弱音を吐いた人を見て『憐れむ』のではなく
むしろ「あっぱれ」と言えるような社会になればいいなと思います。

(ただし、『感情を出す』ことと『感情的になる』ことをしっかり区別しないといけないですけどね)


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯5〕『嫉妬』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔#5〕

『嫉妬(しっと)』とは・・・
『他者を基準にして生きること』である。




『嫉妬』は感情の中でも、ものすごく強い感情のひとつです。

「あの人は私よりもスタイルがいい」
「あの人は私よりも頭がいい」
「あの人は私よりも金持ちだ」
「あの人は私よりもいい生活を送っている」
「あの人は私よりも周りの評判がいい」


etc…

これらは皆、相手を基準にして自分が劣っていることを
恨めしく思う気持ちにあります。

では、どうしてこんな気持ちを抱いてしまうのでしょうか?


それは、「隣の芝生は青く見える」のことわざのように
他人の方がよく見えてしまうところにあります。

ものごとの判断基準は、一般的に『相対比較』によって行われるので
誰を基準にするかによってその良し悪しも変わってくるわけですが
人は本来、満足することができない生き物なので
つい、 “ある” 人と比較してしまって “ない” 自分に劣等感を持ったり
落ち込んでしまったり・・・ということになります。


では、どうすればいいのでしょうか?

ひとことで片づけてしまうと
『自分を基準にする』ことにあります。

というのは
他人は変えられないけれど、自分を変えることはできるからです。


少し話は難しくなってしまいますが、『自分を基準にする』方法のひとつに
近代ドイツの哲学者、ヘーゲル(1770-1831)が唱えた『弁証法』というのがあります。

これは、マイナスをプラスに変える発想で

「 正 → 反 → 合 」
「 テーゼ → アンチテーゼ → ジンテーゼ 」

と表現されたりしますが

 ある物事(正:テーゼ)に対し
 それに矛盾する事柄や問題点
(反:アンチテーゼ)がある場合
 これらを取り込んで矛盾や問題を克服し
 より完璧に発展した解決法
(合:ジンテーゼ)を生み出す

という方法です。


ひとつ例を挙げてみますね。

 〔正〕いい会社に入っていい給料をもらうために、大学に行こう
 〔反〕周りの人よりも勉強ができなくて、大学に入れそうもない
 〔合〕いい報酬がもらえるような、誰もマネできないような一流の職人になろう
   (だがら、手に職をつけることにしよう)


(ポイントは、矛盾や問題点としっかり向き合うこと)


矛盾や問題点に向き合うのが怖いからと言ってそれを切り捨ててしまえば
決してプラスの効果を生むことができません。

つまり、本当に “強くなる” ためには
これらの矛盾や問題点に向き合う必要があります。

嫉妬の目を自分自身に向けることによって
マイナスと思っていたことが『個性』や『チャームポイント』に変わる日も
それほど遠くないかもしれませんね。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯4〕『諦め』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯4〕

『諦め(あきらめ)』とは・・・
『物事をはっきりさせること』である。




突然ですが、ひとつ質問です。

皆さんはいままでに何を諦めてきたでしょうか?

・仕事で自分の意見を言うこと
・目標の体重になるまでダイエットをすること
・好きな学校や会社に入ること
・自分のやりたいことを仕事にすること
・好きな人に思いをつげること

etc…

多すぎて、ため息がでそうになりますね。

でも、毎日は『諦め』の連続・・・
やりたいこと、やりたいと思ったことを100%できる人なんて
本当にまれな人だと思います。


また、人は諦めることを否定的に捉えがちですが
(自分の中に「まだやれる」という “余地” が残されている場合は特に)
「諦めが肝心」という言葉があるように
ときには諦めることの方が望ましい場合もあったりします。

(だからといって諦めることを推奨しているわけではないですけどね)


『諦める』の語源は『明らむ』つまり『(物事を)明らかにする』ことにあり
「それ以上なんともならない」「もう十分だ」ということが明らかになった状態を指します。

したがって

誰もが「もう十分だ、諦めろ」というのは
逆に言えば「お前はよくやった」

という意味になります。


もうひとつ、仏教の世界観で『諦め』を紐解くと
『流転』や『無常』を意味します。

物質的な『物』がいずれは朽ち果てるように
人間関係(ビジネス、友情、恋愛 etc…)などにおいても
永遠に続くということはあり得ないので
環境や状況に応じ、新たな関係を生み出すことが大事だということになります。

つまりは

次の目的や目標にむかっていくための『諦め』

ある意味、前向きな考え方のひとつと
捉えることができるのではないでしょうか。


きょうの “失敗” を嘆くことは大いに結構・・・

ただ、大切なのは
気持ちを切り替えて、明日に目を向けることにあると思います。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯3〕『不安』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ 〔♯3〕

『不安(ふあん)』とは・・・
『生きていくための力』である。




「不安で夜も眠れない」ときはありませんか?

私も以前はそういうときがありました。

現在、眠れないほどの不安に襲われることはめったにないですが

「仕事がなくなったらどうしよう」とか
「貯金がなくなったらどうしよう」とか
「近しい人を失ってしまうのではないだろうか」など

常に不安がつきまとっています。


ただ、これらは決して
私の精神状態が不安定だからというわけではないと思います。

程度の差はあれ
同じようなことを思う人が周りにたくさんいるわけですから
“特別な治療” をしなくても
自分にとって “しっくりくる” 捉え方見つかれば
ある程度の納得が可能だと思います。


では、話を元に戻して。

『不安』は、どうしてもネガティブに捉われがちですが
ドイツのマルティン・ハイデガー(1889-1976)という哲学者は

 本来、人は日常の中で
 同じ作業(仕事、家事、子育て、レジャー etc… )を繰り返し
 それが極めて当たり前のように思うわけですが
 “ある出来事” をきっかけに
 本来あるべき存在のあり方(つまり『自己』)が呼び起こされ
 自分と向き合うようになる・・・というもの。

 その “ある出来事” というのが『不安』である。

と、肯定的に捉えて発言しています。

(『不安』の最も究極なものは『死』にあたり
  『死』を意識して初めて自らの『生』に向き合うことができるといえる)


つまり

『不安』であるからこそ
『不安』を感じているからこそ
私たちは『生きていること』を実感できる


ということになります。

(そうでなかったら、ただ漠然にのらりくらりと過ごしているだけになりますよね)


生きている以上、『不安』とつきあっていかなければならないわけだから
それを力に換えてしまおうという考えは、すごく心強いと思いませんか?

『不安』をバネに・・・

眠りから覚めた後、自分なりにまた頑張ってみようと思います。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯2〕『怒り』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯2〕

『怒り(いかり)』とは・・・
『真剣に主張すること』ことである。




イライラ、ムシャクシャしてどうしようもないとき
どうやってそれを解消すればいいでしょうか・・・

日頃からイライラを解消する “訓練” をしている人ならともかく
怒りはそう簡単に抑えることができるものではありません。

ならば、いっそのこと
「怒ることに徹底してみましょう!」
というと、急に困ってしまう人も多いかもしれませんね。

イライラ、ムシャクシャはするけれど
人前で怒るのは躊躇してしまう・・・というように。


もともと日本人は怒るのが苦手です。
おとなしい民族で、議論することも少ないです。

国際的な交渉がそうであるように
日常会話でさえケンカに聞こえる中国人や
自己主張の国、アメリカの人たちと対等に交渉するためには
彼らと同じように “怒らなければ” いけないわけですが
それができないため、結果的に押し切られてしまっています。


では、なぜ日本人は怒ることが苦手なのでしょうか?

それは、日本の哲学者、三木清(1897-1945)が書いた
『人生論ノート』の中に一部ヒントが隠されているのですが
『怒り』と『憎しみ』が混同して捉えられている ことにあります。

確かに・・・

『憎しみ』は負の感情しかありませんが
本来、『怒り』は 正のエネルギーを秘めた感情 なのです。

つまり

言うべきことを訴えるために
言葉に力をこめ、相手の目を見据える・・・


これこそが本来の『怒り』

(相手を打ち負かすための怒りは、単なる憎しみにすぎません)


そこでポイントとなってくるのが
「怒りをどのようにして伝えるか」です。

怒りが “正のエネルギー” であることを上手に表現する。

そのためには、相手が理解しやすいよう
感情をむき出しにしないのはもちろんのこと
毅然とした態度で、かつ論理的に話す必要があります。


さあ、この文章を読んで、どのように感じましたか?

もし、このことがご理解いただけたのなら
明日からちょっと “自信をもって” 怒ってみませんか?


もちろん、無理に怒らなくていいですけどね。

ただ、ちゃんと意識的して相手の目を見て
自分の意見を言うことができたとしたら
ものすごく自分に自信がつくような気がします。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯1〕『喜び』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ 〔♯1〕

『喜び(よろこび)』とは・・・
『苦しみを受け止めること』である。




「明日が楽しみで夜も寝られない」

子どものころ、誰もが経験したであろうこの思い・・・

それが大人になるにつれ喜びは小さくなっていき
むしろ悩んで眠れなくなってしまう夜の方が多くなっていきます。

しかし、冷静になって1日を振り返ってみると
小さいながらも、しあわせと感じる場面が少なからずあるのではないでしょうか。

そう、大切なのは
 何気ない日常の中でいかに小さな『喜び』を感じられるか
というところにあると思います。

本来、人は誰も同じように
『苦しみ』と『喜び』を平等に味わうものですが
楽しそうに生きられる人とそうでない人がいるのは
苦しみの受け止め方が異なることにあると思います。

そういった意味では、苦しみから目を背けたり、逃げようとせず
苦しみと戦い、苦しみを本質的な部分で受け入れているほうが
強く、明るく生きていけるような気がします。

(日常を『苦しみ』と表現するのはちょっと重たい感じがするかもしれないですけどね)

このことを少し例に挙げて言うなら
“あたりが真っ暗で漆黒の闇の中にいるからこそ、夜空の星がまたたいて見える”
ということになるのかもしれません。

また、やまない雨がないように
人生は苦しみばかりであるはずがないので
きょうの『苦しみ』は来るべき『喜び』のための “貯金”
と考えられるといいかなと思います。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯36〕『眠り』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯36〕

『眠り(ねむり)』とは・・・
『意識の気分転換』である。



〔解釈とヒント〕

皆さんはちゃんと眠っていますか?

いや、眠れない夜にこの文章をご覧いただいているくらいですから
睡眠不足の方のほうが多いのではないかと思います。

眠れないのにはいくつかの原因があります。

たとえば、身体が疲れていない、興奮している、心配事があるといったように。

身体が疲れていないのは別にして
それ以外の原因については、言ってみれば “寝ていられない” 精神状態にあるわけです。

そのなかでも、ワクワク興奮しているのならいいですが
怒りや心配ごとで寝られないというのは、あまりよくないですよね。

心を落ち着かせる必要があります。

そもそも、寝なかったからといって解決する問題ではないのです。

たいていは身体や精神の疲弊をもたらし、悪い方向に行くだけです。


『眠り』について最初に哲学的視点で考えたとされるのが
古代ギリシャの哲学者・アリストテレス(前384-前322)です。

彼は現実主義者で有名です。

何しろ、物事の真理はどこかの別世界ではなく
目の前にあると唱えた人です。

つまり、彼は『ヒュレー』と呼ばれる材料の中に
完成状態としての『エイドス』が既に備わっているとみるのです。

種は最初から花となり、材木は最初から家になる運命にあるというように。


そんな彼によると、睡眠とは「感覚が働かないでいることだ」といいます。

身体の器官には休み(睡眠)が必要なのです。

なぜかというと、それは再び活動するからです。

物を長く使い続けるためにはメンテナンスが必要ですよね。

休みなく動かし続けると、疲弊してダメになるのは、物も人間も同じなのです。


あと、おもしろいのはアリストテレスのいう睡眠は
一部の器官を休ませることでは決してなく
共通感覚の停止であるとしている点です。

個別の器官、たとえば、足が疲れたから腰掛けるというのと違って
意識そのものを休ませる必要がある ということです。

確かに、寝ている間も心臓は動き続けていますから
すべて休ませるのは不可能です。

休ませる必要があるのは、意識なのです。

私たちの意識は、再生産が必要なのです。

意識を一旦リセットすることで、人はまた生きていくことができます。

「一晩寝たら怒りが収まった」というように
何日か経てば自然にリセットされることがあります。

その意味で、腹の立つことがあろうが、心配ごとがあろうが
とにかく放っておいてあとから寝るというのは
正しい選択なのかもしれません。


人がうまく生きていくためには、気分転換が不可欠 なのです。

そう、睡眠は最高の気分転換 なのです。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これまで計36回にわたって書いてきた
〔眠れぬ夜に・・・明日につながる希望の哲学 〕シリーズ(※)
今回をもって終了することとなりました。

自分の中で何か悩みや問題ごとを抱えたとき
どうしてもそれを解決しようとして躍起になることが多いわけですが
(主観的ではなく)一歩引いて、客観的に捉えられた方が
自分の求めている〔結論〕〔方法〕が出やすいのは経験としてお持ちではないでしょうか。

その客観的に捉える方法として挙げたのが
今回、カテゴリーとして設けた『哲学』の力を借りることによって “答え” を導く方法。

普段よりよく用いられる36個の単語とその哲学的意味を載せてまいりました。

哲学的意味を知ったからといって、ご自身が抱えている問題や悩みが解決するものではありませんが
各々の言葉の具体的イメージをつかむことで、問題や悩みを解決するための足掛かりになればと思います。


 (※)眠れぬ夜に・・・明日につながる希望の哲学シリーズ
    (カテゴリー『明日につながる希望の哲学』)
 http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/category/philosophy

眠れぬ夜に〔♯35〕『希望』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯35〕

『希望(きぼう)』とは・・・
『まだないもの』である。



〔解釈とヒント〕

ある意味で希望は『生きる勇気』であるように思います。

よく災害の被害に遭った人や、戦争を経験した人から
「かすかな希望」だけを胸に生き抜いたという話を聞きます。

想像を絶するような苦しみの中にあっても、なぜ人は前に進むことができるのか?

それはその状態が永続するものではないと信じられるからです。

反対に、その状態が永遠に続くとしか思えないとき
人はあきらめ、自ら命を絶つことさえあります。

希望が途絶えた状態・・・それが『絶望』です。

だから生きるためには『希望』が不可欠なのです。


では、希望とは何でしょうか?

ドイツ出身のユダヤ系哲学者、エルンスト・ブロッホ(1885-1977)は
『希望の原理』の中で「希望とはまだない存在」だといっています。

つまり、人間の内部には、過去に向けられた意識されないものとともに
未来に向かう「まだ意識されないもの」があるとされ
この意識されないものが、予感、憧憬、空想、白昼夢という形で
意識に上がってきて、希望の内容を形作るわけです。

だから、希望を確固たるものにすることが重要であり
希望の輪郭が明確であればあるほど、人は勇気づけられるでしょう。


しかし厄介なことに、希望はいったんかなうと
すぐに物足りなくなってくるものです。

人間というものは欲深いものですね。

なので、ある意味
「どの願望充足にも希望という固有の一要素が実現されずに残る」
とも言えるのです。

つまり、希望はいつまでたっても物足りなさを残すがゆえに
逆に新たな希望を抱き続けることができる
のです。

そうしてまた前に進んでいけるのです。

よって、希望がかなうことは大変素晴らしいことなのですが
その後もう二度と希望を抱けないとしたら、それはまさに悲劇なのです。

人間が歩みを止めてしまうことになるのですから。

その意味でブロッホは
「希望は歴史の推進力」である ともいっています。

希望があるから社会は発展し、歴史は前に進む のです。

私たちが社会全体としても希望を抱かなければならない理由はここにあります。


いま、社会に希望がないといいます。

成長の見込めない経済、行き詰る政治、人口の減少、環境の悪化・・・
(それにもまして、いまだ収束する見込みのない『コロナ禍』)

この国の、いや、この地球のいったいどこに希望があるのかと。

でも、なにかに希望を見出さなければ、人と同じで社会も止まってしまいます。


先日、道端に数人の子どもたちが集まっていました。

翅(はね)の折れた蝶がもだえているので
助けようとしていたようです。

いずれは死んでしまうであろう一匹の蝶・・・

しかし、その命を救おうと、懸命に頭を悩ます子どもたち・・・

こういった、彼らの姿こそが大きくなって
ゆくゆくは社会の希望にもつながっていくように思うのです。

世の中全体を見ると暗澹(あんたん)たる気持ちになりますが
こういう小さな部分で、私たちの社会はまだ希望の光をささやかに
しかし力強く放とうとしているのです。

私たち一人ひとりの希望もそれでいいのかもしれません。

どんなにささやかなものでも、生きていくには
十分、力強い光を放つのです。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯34〕『勇気』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯34〕

『勇気(ゆうき)』とは・・・
『的確な目的を抱いた状態』である。



〔解釈とヒント〕

きょう1日、勇気がなくて失敗したことを思い出してみてください。

告白できなかった・・・
会議で手があげられなかった・・・
困っている人を助けられなかった・・・

いずれも、あと少し勇気があれば、なんとかなったでしょう。

勇気がなかったがために、後悔する結果となる。

思い出すと夜も寝られないという人がいるのではないでしょうか。


では、どうすれば勇気を出せるのか?

「根性を鍛えればいい」などという人がいますが、その方法が問題です。

バンジージャンプを体験すれば、勇気が持てるようになるとは思えません。

高いところから飛び降りることに対して免疫が付くかもしれませんが
それは勇気とは異なります。


そんな私も、いままで生きてきて
数えきれないくらい多くの後悔があるように思うのですが
(やはり(?)やった後悔よりやらなかった後悔の方がはるかに多い)
いま思えば、私が “チャレンジ” できなかったのは
負けるのが怖かったからだと思います。

要は『負ける勇気』が持てなかったからです。


では、改めて勇気について考えてみたいと思います。


これまで何回か出てきましたが
古代ギリシアの哲学者・プラトン(前427-前357)が
『ラケス』という本の中で『勇気』について論じている部分があります。

ラケスというのは、将軍の名前で
兵士を題材にその本質を暴こうとしているわけですが
兵士に欠かせない勇気のひとつである「忍耐強さ」は、目的次第であるということが結論付けています。

例えば、兵士になって戦死するのは怖いけれど
「祖国を守る」という目的があるなら、その怖さが薄れるというのです。
(より忍耐強くなって “勇気が増す” )

単なる「怖いもの知らず」もいますが
それは動物や子どものようなものであって、勇気とは異なりますよね。

つまり、勇気を持つためには
(根性で鍛えるのではなく)明確な目的を定めればいい ということになります。

そうすれば、いかなる恐怖を乗り越えて行動に移せるに違いありません。


では少し改めまして
人間にとって『恐怖』とは・・・それはやはり生きることそのものになると思いますが
(これまでの話同様)生きる目的をしっかりと抱くことができれば
どんな困難にも立ち向かっていけるように思うのです。

少し前に述べた『負ける勇気』というのも同じです。

負けることが自分を強くし、成長する契機になると捉えるようになり
それをチャレンジの目標に据えることができるのです。

勇気は持とうと思って持てるものではありませんが
目的をしっかりと定めることができるなら(勇気を持つことも)できるはずです。

そうすれば、勇気を持てなかったことで後悔する夜もなくなることでしょう。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

眠れぬ夜に〔♯33〕『未来』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯33〕

『未来(みらい)』とは・・・
『いまを生きること』である。



〔解釈とヒント〕

眠れない夜に未来に対して思いをはせるのは
いい面も悪い面もあるでしょう。

いい面は希望を持てる点、悪い面は希望を持てないという点です。

つまり、未来というのは先の話であるだけに
そこに明るい兆しがあればそれは明るい未来としていい意味を持ちます。

これに対し、明るい材料が何もなければ
未来は希望を持てない暗いものとして悪い意味を持つのです。


しかし、一般的に未来というのは、いいニュアンスで捉えます。

過去、現在、未来という3つの時代区分の中で
もっとも輝かしいものとして描かれるのです。


「TIME タイム」というSF映画があります。

25歳で成長が止まり、あとは
富裕層には永遠の命が与えられるのに対して
貧困層は余命1年だけが与えられます。

彼らは労働によって時間を稼ぐか、人からもらうか奪うかによって
寿命をのばすほかないのです。

ここでは時間が通貨として流通し
人々は稼いだお金で、いや、時間の分だけ生きられるのです。

貧困層の人間は、常に時間とにらめっこして生きなければなりません。

おそらく彼らには未来などないのでしょう。

あるのはきょう1日をいかに生きるかだけです。

反対に、永遠の命が与えられた者はどうかというと
これもまた未来に希望を託すことなどありません。

同じことが続くだけの人生・・・

中には、自ら命を絶とうとする者も出てきます。


つまり、 残された時間のない者も、有り余るほどある者も
ともに未来に希望を託すことなどできない
​ のです。

結局のところ、彼らは いまを生きている のです。

実はこの映画の登場人物に限らず
人間は皆そうなのかもしれません。

それは未来という時間の意味を考えれば分かると思います。


例えば、古代キリスト教の哲学者アウグスティヌス(354-430)は
未来を含む時間について、人間と心との関係で捉えています。

過去、現在、未来などとあたりまえのようにいいますが
実際は過去などというものは存在しません。

過去は “過ぎ去っている” のですから。

未来も同じ・・・まだ “ない” 存在なのです。

その意味で、あるのは今だけ です。

にもかかわらず、私たちはこの3つの時間を抱き
それぞれを区別しようとします。

それは私たちの心が、今を実感するだけでなく
過去を記憶し、未来に思いを馳せるからです。

また、アウグスティヌスは、時間とは延長だとも言っています。

つまり、過去、現在、未来という3つの方向に心が延びるイメージなのでしょう。

現在を起点に、私たちの心は
今にも、過去にも、未来にも延びていきます。

ときにそれは後悔という形をとって、ときに期待という形をとって。

でも、それらはいずれも
いまをどう生きるかという問題にほかならない のです。

そう考えると、いま、この時間を
ポジティブな気持ちをもって生きた方がいいのか
ネガティブな気持ち(を抱えたまま)で生きた方がいいのか
おのずと答えが決まってきそうですね。

まだ誰も知らない、明るい未来を信じて。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)