ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

2018年10月

“カウンセリング的関わり” の基本〔Ⅰ〕:『リレーション』とは?(2/4)

みなさま、いつもありがとうございます。

私たちプロのカウンセラーが提供する『カウンセリング』のみならず
親子関係、夫婦関係、上司と部下との関わり、教師と生徒や保護者等の関わり等
“カウンセリング的関わり” において重要となる『リレーション(※)

(リレーション:心と心のふれあい、気持ちと気持ちのつながりをつくっていくこと)

『リレーション』をつくる3つの要素のうち、きょうは1つめを紹介します。
(引用:『新しいカウンセリングの技法』諸富祥彦著 誠信書房)


① うなずき・あいづち

このうなずき・あいづちこそ
「私はあなたの話を聴いてますよ」「聴き流しているのではなく、関心を持って耳を傾けていますよ」
という姿勢を伝えることができる最も基礎的な技法といえます。

他の人から人生のつらい出来事や、苦しかった思いを打ち明けられたときには
あまり『自然体』にこだわらず、少しオーバーなくらいにゆっくり、大きくうなずきましょう。

相手のペースに合わせながら、少しゆっくりなスピードがちょうどよいでしょう。

『自然体』にこだわりすぎると、話を聴いてもらったほうは
「あまりしっかりと受け止めてもらえなかった」という感じを持つことが多いものです。
少し大きめに、ゆっくりとうなずきましょう。

あいづちも重要です。
しっかりと声に出して、相手の方よりも少し低めの声、少しゆっくりめのスピードであいづちを打ちましょう。

「ええ、ええ……なるほど。……そうですか……はい…はい……あぁ……えぇ」

こんなふうに、行間を響かせるような仕方で、あいづちを打っていくのです。

うなずき、あいづちの基本は
相手の方よりも少し「大きめ、低め、ゆっくりめ」です。


 (※:『リレーション』過去掲載分)
 http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/500

“カウンセリング的関わり” の基本〔Ⅰ〕:『リレーション』とは?(1/4)

みなさま、いつもありがとうございます。

職業や立場によって、また、年齢を重ねていくことによって
人から相談される機会というのが出てくると思います。
(ex 勤務先の上司、学校の先生、医者、士業、各種セラピスト etc… )

相談された側からみると、自分が「信頼されている」と思い
ついうれしくなってアドバイスしたり(ひどいと、ダメ出ししたり)
経験談など織り交ぜ自分自身の話をしてしまうこともあるかと思いますが
その場合、「やっとの思い」で相談した人が “そっちのけ” になってしまい
「相談して損した」と思われることも数多く見受けられるようです。


そうした状況にならないために、2つの重要なポイントがありますので
きょうはそれを紹介したいと思います。

ひとつは『リレーション』
そしてもうひとつは『傾聴(の仕方)』です。


きょうから3回にわたって『リレーション』を紹介していくわけですが
(『傾聴』については別の機会で取り上げます)
『リレーション』ということばを聞くのが初めてだという方がほとんどだと思います。

この『リレーション』ということば・・・ 一言で表すと

心と心のふれあい、気持ちと気持ちのつながりをつくっていく

ことです。


つまり、相談者が相談した相手に対し

「私は、この人と気持ちがつながっている」
「この人には安心して話ができる」
「この人とは、気持ちがひとつに重なって、同じこころの世界を味わえている」
「この人は、私の気持ちを、こころのひだまで丁寧に分かってくれようとしている」


と感じることができる人間関係のこと。


私たちプロのカウンセラーが提供する『カウンセリング』のみならず

・思春期で多くの悩みを抱えているお子さんに対して生かす
・夫婦関係、親子関係の改善に生かす
・上司と部下との関わり、教師として子どもと保護者との関わりに生かす

といった “カウンセリング的関わり” においては、必ず『リレーション』の関係が存在し
この関係なくして『安心して話ができる場』は存在しませんし、相談者を援助することはできません。


また、そんな『リレーション』をつくるためには
3つの大事な要素がありますので
それぞれについて、今後また詳しく書いていきます。


(引用:『新しいカウンセリングの技法』諸富祥彦著 誠信書房)

めざせ! “うつ” 円満社会

みなさま、いつもありがとうございます。

ハロウィンや東京オリンピックの準備の様子などを
ニュースや情報番組で無理やり盛り上げようと見せているその裏には
なんとなく世の中が沈滞化してしまっているというか、閉塞感のようなものを感じます。

(もちろん、そう感じるのは私だけかもしれません)


こういった、世の中全体がどこか疲弊してしまっているような雰囲気の中で
社会問題となっている “うつ” を排除しようというのは、とてつもなく難しい・・・

では、どうすればいいのか・・・

やっかいな “うつ” ではあるけれど、それを排除しようとするのではなく
“うつ” のつらさを社会全体で受け止め、少しでもいいから理解するとともに
より家族や友人たちとの絆が深まるような社会になればいいなと思っています。

ひいて言うなら
『うつ蔓延社会』ではなく『うつ円満社会』にする感じ。

誰もが持っているであろう “うつ気分” を隠さず受け入れ
(ちょっとした体のだるさ・心配・ゆううつ・やるせなさなども含め)
上手につきあえるような世の中に。

自分はもちろんのこと、周りの人に対しても
もうすこし寛容になれるように。。。


作家の五木寛之さん、精神科医の香山リカさんの共著
『うつの力(幻冬舎新書)』の中で『うつ』を以下のように表現されています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

エネルギーと生命力がありながら
出口がふさがれていることで中で発酵しているもの

逆にいえば、発酵されたうつが出口を見つけたら
それは大きな生きるための強力なエネルギーとなって
その人の重要な栄養素となって支えていく


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以前、「なぜ、まじめな人が “うつ” になりやすいのか?」という項目で
「ありのままの自分がないから」という、少々「きつい」と感じる表現で書いたことがありますが(※)
実際に “うつ” になってしまう人は、単に “まじめ” というだけでない
繊細で感受性が強く、とてもやさしい人が多いような気がします。
(そのやさしさが自分にとってマイナスに出てしまっている)
(また、心が弱いからではなく、心が強いからこそガマンし続けてきた)

また、“うつ” から解放された人は
(以前にも増し)さらに心が強くなって温かくなる人も多いと思います。


『うつ円満社会』

私の目指しているところ。

少しずつ形にしていきたいと思います。


 (※)該当URL「なぜ、まじめな人が “うつ” になりやすいのか?」
    http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/416

罪なき盗み〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

「欲しいものが手に入らない」ことはよくあると思います。
(私もよくそう思います)

“もの” と言っても、物理的なもの(いわゆる『物』)に限った話ではなく
自分自身に関すること(性格や容姿など)だったり
仕事でいうところの『顧客』だったり
はたまた、『成功』や『幸せ』といった抽象的な概念だったり・・・

人それぞれだと思います。


では、どうすればそれらのものが手に入るのでしょうか?


よく言われるのは
「自分の “欲しいもの” を手に入れている人のまねをする」

少し言い方を変えると
「その人の “持っている部分” を “盗んでしまう”」

ということになると思います。

確かに、これに尽きるかもしれませんね。

資格を取得しようとしたり、仕事の売り上げを上げるのであれば
当然それなりの努力や我慢といったものが必要となってくるわけですが、一方で
自分が目標とする位置(自分の欲しいものを持っている)に、該当する人がもしいたのなら
その人の服装・持ち物だけでなく、立ち振る舞いとか、使っている言葉・口ぐせなど
とことん真似をして “盗んでしまう” ことがいいような気がします。

(スポーツ選手などはそのような傾向(上手な人の『技術』を盗む)が強いかもしれません)

『罪なき盗み』といったところでしょうか。


すこし話は変わりますが
小さい子どもは、親のまねをして育っていきます。
(親に限らず、身近にいる人を見て育つ)

つまり、小さい子どもは、親や身近にいる人から “盗んで” 成長していきます。

子育てなどで
「子どもが全然言うことを聞かない」と嘆くおかあさんも実に多いかと思いますが
どうすればいいのでしょうか・・・

「子どものなってほしい姿にまずは自分がなってみる」

意外と理にかなっているかもしれませんよ。

「自分を知る」ための問い〔#34〕

みなさま、いつもありがとうございます。

「自分を知る」ための問い〔#34〕

あなたにとって一番心の落ち着く空想は何ですか?


~答えを導き出すヒント~

出かけるのに気持ちがいい、過ごしやすい季節になりました。

この秋獲れたてのおいしい食べ物、山や街並みを彩る紅葉・・・
出かけずとも、想像するだけでちょっとワクワクした気分になってくるのではないでしょうか?


楽しいことの想像は体に元気と勇気を与え、行動促進にもつながるわけですが
不安や不快を感じる想像は、消極的・閉鎖的になってしまい
本来できるはずの行動もできなくなってしまう可能性があります。

つまり、想像することの内容如何によって
行動、ひいては(行動によってもたらされる)成果が大きく異なってくるため
『想像する』ことは、人生を左右するくらい大きな影響を持っていることが言えそうです。


ただ、楽しいことばかりを想像することは、限界があると思いますので
ストレスや不安などがつきまとったときでも、できるだけ平常心でいられるようにという思いを込め
皆さんの「心の落ち着く」空想はどういったものかを本日の問いとして挙げることにしました。
(便宜上『想像』ではなく『空想』にしました)


空想することは、想像を膨らませてイメージを豊かにするうえでも重要なことですよね。

空想したことにプラスやマイナスといった “ジャッジ” をせず
どういう状態のときに、自分の心が落ち着くのかを空想してみる・・・


たとえ「心の落ち着く」感覚がどのようなものか自分でイメージできなかったとしても
海や山、カフェなど気持ちが落ち着くような場所があれば、それを思い浮かべるのも一つの手です。

また、ただその場所(風景)を思い浮かべるだけでなく
聞こえる音であったり、感触や肌触りみたいなものを含め、できるだけ具体的にイメージするといいと思います。


そのほか、仕事や家事などで時間に追われて精神的余裕のないときなどは
いくら心の落ち着く空想を想い描こうとしても、ネガティブな妄想ばかりうずまくかもしれません。

そんな状況下にあっても、心の落ち着く空想を思い浮かべ
いかにして早く “本来の自分” に切り替えることができるか・・・


きょうのこの問いのように
常日頃から心の落ち着く空想を “ストック” しておくことがとても大切になってくると思います。

まちミル博覧会(@日進市):イベント出展します(10/27、11/10)(再々送)

みなさま、いつもありがとうございます。

以前紹介したイベントの紹介の再々送です。

私の住んでいる愛知県日進市の町おこし事業の一環として
『ぐるぐるNISSHINまちミル博覧会』というのがあり
市内に住む方が様々な催しものを単独講座という形で出展するのですが
私もその中の一員して出展することになりました。

内容は、以前のイベントと同じように
座学とワークショップを組み合わせた講座になります。

詳細を下記に示しますので
ご興味ありましたら、ぜひ、ご参加いただきたく思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

テーマ『メンタル・ストレッチ ~しなやかな心のつくり方~』

〔日時〕
10月27日(土)、11月10日(土)
(いずれも同じテーマを扱います)

〔時間(以降、いずれも)〕
13:30~16:00(13:00受付開始)

〔場所〕
日進市商工会館 2階 研修教室(日進市役所向かい側)

〔料金〕
2000円

〔内容〕
~前半(講座)~
・ストレスとは何か
 →そもそも、なぜその刺激を “ストレス” と捉えるのか
  (体にどんな反応が起きているのか)
・ストレスを必要以上にためないために
 →刺激に対する捉え方を上手に “選択する”
  (無理にポジティブシンキングは必要なし)
・ストレスがたまったら/メンタルがまいったら
 →まずは身体感覚にアクセスする
 →たまったものをいかに “出し切るか”
・しなやかに生きるために必要なこと
 →精神的安定・経済的安定はときに大罪をもたらす
  (不安定感こそ自分らしさを発揮できる)
 →自分の人生経験(リソース(財産))を生かす
 →一方で、いままでの自分の人生を少し疑ってみる
~後半(ワークショップ)~
・「自分を知る」ための問い
・参加者の皆様による感想、気づき、持ち寄りテーマなど意見交換会

〔詳細URL/申し込み〕
https://machimiru-haku.com/events/180

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ぐるぐるNISSHINまちミル博覧会について

〔URL〕
https://machimiru-haku.com/

〔Facebook〕
https://www.facebook.com/ぐるぐるにっしん-1835660869998989/

 

社団法人『家族と心の研究所』講演会のご案内(11/23 @名古屋)

みなさま、いつもありがとうございます。

当方が理事をつとめております
一般社団法人『家族と心の研究所』より、講演会の案内です。


テーマ『私に起きた革命 ~家族への見方が変わるということ~

日時:2018年11月23日(金・祝)
   14:00~16:30(13:30受付開始)

場所:愛知芸術文化センター 12階 アートスペースEF室
   (名古屋地下鉄栄駅 徒歩3分(地下通路直結))

講師:柴田 智世
   (名古屋柳城短期大学 保育科 准教授)

料金:会員2000円 非会員2500円 学生500円
   (いずれも税込)

受付メールアドレス:info@kazoku-cocoro.or.jp


※『家族と心の研究所』のURLもご参照ください。
 http://www.kazoku-cocoro.or.jp/

『SNS疲れ』について(3/3)

みなさま、いつもありがとうございます。

『SNS疲れ』をテーマに
おととい、きのうと2回にわたってお伝えしたわけですが(※)
もうひとつ、私なりに大切だと感じていることをお伝えしようと思います。


改めて・・・ ではありますが

心のある、生身の人間同士が “分かり合える” 関係であり続けるためには
顔を見合わせ、言葉・表情・仕草など、お互いの “体温” を感じながら会話するのが自然なのに
宛先なき一方通行の投稿でそれを成り立たせようとするのは、やはり不自然。

そのため、できることなら、自分と『友達』とが
投稿の文面を見ただけで、その人の表情や声のトーンが想像できる関係でいられるのが
一番いいように思えます。

近くに住んでいるのなら、いつでも会って話ができるのはもちろんのこと
遠距離でなかなか会うことはできないにしても、もし、近くによることができたのなら
1時間でもいいから会う約束をして、おいしいコーヒーを飲みながら会話ができる・・・そんな関係。

(すこし別の言い方をすると、実際に顔をあわせたときに会話できる関係性と言えるかどうか)


一方で、親密度が高く “分かり合える” 友達の投稿でさえNoisyに感じたり
人の投稿を見て一喜一憂する自分に急に “むなしさ” を覚えるときがあるかもしれません。

そうなるともうレッドゾーン。

SNSを見ない期間を一度設けたり、親密度の低い『友達』に関してはおもいきってつながりを断ち
“つながっていたい” と思う人だけに絞るということも必要なのかもしれません。
(相手あってのことなので、それなりの覚悟や誤解のない「言い回し」が必要となってきますが)

年齢を重ねるとともに、自身の取り巻く環境はもちろんのこと
考え方や感じ方、ひいては “人生そのもの” が変わってきますからね。

それなりに ”分かり合えた” 人でない限り、いまの生活環境で会うことのなくなった人や
自分のSNSの感覚に合わない人に縛られることはないと思います。
(ただし、「縛られている」という気持ちは、自分の思考が勝手に作り出していることをお忘れなく)


・・・と、3回にわたって書いたテーマの最後が
少々過激になってしまったので、最後にやわらかく終われるような一言を。


前回、前々回の繰り返しになりますが
『友達』の投稿は、実際に人と接って話をするときと同じように
自分の心を映し出す鏡のような部分を持ち合わせていると思います。

投稿内容を見てさまざまな感情や思考がうずまき、ときには ”暴走” してしまうわけですが
『友達』の親密度合や投稿内容の質に関わらず
「相変わらず元気にしているみたいだな~」くらいの達観した目で見られるようになると
人として一歩成長できるような気がします。


いずれにしろ、自分でコントロールできる部分はコントロールして
SNSに必要以上に振り回されないように。

もちろん、私自身もこのことを肝に銘じ、より上手にSNSと付き合っていけたらなと思います。


 (※:『SNS疲れ』過去掲載分)
 http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/489
 http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/490

『SNS疲れ』について(2/3)

みなさま、いつもありがとうございます。

前回のプレスリリースにて
『SNS疲れ』にならないためのポイントと、SNSのもうひとつの活用法に書きましたが
(前回URL:http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/489
きょうはもう少し踏み込んで書いてみたいと思います。

それは、投稿する人の心理について。


よく言われる『承認欲求』や、自分の思いに共感してほしいという気持ちの他に
もう少し根本的な部分において、何かしら欲求が存在しているように思えます。

それは
「もっと私のこと見てほしい」「私の存在を感じてほしい」といった “集注欲求(※1) 
(※1:精神科医・名越康文先生の造語)

要は「他者への関心を自分に引き寄せようとする」もの。


この『集注欲求』の根源は 生きるための手段(※2)として自然と身につくところにあるので

 (※2)生まれて間もない赤ちゃんが
     「お腹がすいた(ミルクが欲しい)」
     「うんちが出ちゃった(おしりを拭いてほしい) 」
     「不快だ(汗拭いてほしい、安心してねかせてほしい)」
     泣き叫ぶことによって親や周りの人に “生きるための” 援助を求める

とても大事な欲求のひとつであることは間違いないわけですが
一方でこの欲求は、『怒り』の感情と密接な関係を持っていることについて触れる必要がありそうです。

というのは、先ほどの赤ちゃんが自分の要求にこたえてもらえない場合
顔をさらに真っ赤にして(あたかも怒っているかのように)泣き叫ぶように
「誰かに振り向いてほしい」という欲求(感情)は
「振り向いてくれない」相手に対する『怒り』と常に隣り合わせ であるため
一見、ポジティブでほほえましい感じのする投稿であっても
何かしらの要求を満たそうとする真意みたいなものが往々にしてあったりします。


そう考えると、1日に何回も投稿するような人は

・何かしらの『怒り』を抱えていると言えなくもない・・・
・文章で表現されない “真のメッセージ” が隠されているかもしれない・・・
・何かしらの目的や意図があって、ある種 ”やむを得ず” 投稿しているかもしれない・・・
 (ビジネスとして活用している人はどうしてもそうなりがちですよね)

(だからといって誰も投稿しなくなると、SNSの意味が全く持ってなくなってしまう)
『怒り』自体に良い悪いはなく、むしろ先ほどの赤ちゃんの例のように “生きていくためのエネルギー” を持ち合わせているからこそ…という見方もできる)

(また、人にどう思われようが関係なく、それこそ息を吐くように投稿する人もいますけどね (笑) )


以上のことを踏まえ、私たちはどのようにSNSと付き合っていけばいいのでしょうか・・・

前回紹介した「自分なりのフィルターにかけて見る(境界線を引く)」に加え
(先ほどの赤ちゃんの例ではないですが)
小さなこどもを見守るような目で(『母親的役割』とでも申しましょうか)SNSと付き合っていくといいのかなと思います。


(なので、私のこの文章も、小さな子どもを見守るような目で読んでくださいね (笑) ) 

『SNS疲れ』について(1/3)

みなさま、いつもありがとうございます。

現代のコミュニケーションツールとして欠かせない『SNS』

会いたくてもなかなか会えない友達の様子が分かる大変便利なツールである一方
そのSNSによって人間関係が破綻してしまうなどの問題が発生したり
そこまでいかないにしても、『SNS疲れ』を抱えてしまっている人は多いようです。


SNSを投稿する側にしてみれば
「いまいち反応がよくないな~(ひょっとして○○は自分のこと嫌っているかも)」
と思ってみたり・・・

SNSを受け取る側にしてみれば
「いつも楽しそうな生活をして、なんだかすごくうらやましい(それに比べて自分は…)」
と思ってみたり・・・


SNSの一番難しいところは何かというと
『友達』の親密度合に関係なく同じ “濃度” で情報が伝わってくるところにあると思います。

しかもその濃度が結構 “濃かったり” しますよね。
(『友達』になってみないと、その ”濃さ” が分からない)

 ・1日に3個も4個もつぶやいてきて「またか…」と思ってしまう
 ・情報が細かすぎて、必要以上のプライベートなことが分かってしまう
 ・自己愛がすごくて、見ているこちらの方が恥ずかしい気分になってしまう
 ・日頃のイライラや愚痴っぽいのが伝わってきて、何とも言えない気分になってしまう
 ・ポエマーだったり、価値観ぶつけてきたり「だから、何?」みたいな気持ちになってしまう

    ↓↓
   私自身、気を付けているつもりですが、少し該当してますね (汗) 


この濃度の濃さによって、自分と他人との間で保っておきたい ”心の距離感” に狂いが生じるだけでなく
気分転換(ちょっとした現実逃避)で見たつもりが、余計現実を突きつけられるような気分になったり
投稿を客観的に受け取ることができず、思考や感情が必要以上に刺激されてしまい(※注)
(投稿内容から伝わってくる相手の ”ハイテンション” についていけないというのもありますよね)
ひどくなると、その人の『名前』を見ただけで疲弊してしまう・・・そんな状態に陥るのだと思います。


かといって、SNSは投稿してこそなりたつ世界。
投稿することに当然 “罪” はありませんし、人に投稿をとめてもらうことはできないので
(デマを流したり、必要以上に情報を拡散させるのはすこし問題ですが)
受け取り側がいかにしてその濃度の濃さに対応するかがカギになってくると思います。

「フィルターをかけて見る」というか。
(専門的には「バウンダリー(境界線)を引く」なんて言い方をします)

SNSで配信されてくる情報は
どんなに深い仲の友達であっても、心揺さぶられる投稿内容であっても、結局は『他人事』である。
(ニュースや新聞記事を流してみるのと同じような感覚で)
(そもそも、SNSを始めたきっかけや目的、楽しみ方が人によって違うわけですからね)


一方で、同じ友達の、同じような内容による投稿を見た際に
「いいね!」と素直に感じるときと、そうでないときがあると思います。

その両者の違いは何かというと
自分の心に余裕があるかないかというところに大きく関係しているような気がします。

つまり

心に余裕のあるときは、自分が満たされた状態でいるので
『他人事』として捉えることができますし
(人が「うれしい」と感じたことは、一緒になってその喜びを分かち合えることもできる)

心に余裕のないときは、フィルター自体が弱ってしまっているので
相手の喜びを素直に受け取ることができなかったり、人を「うらやましく」感じてしまう・・・
(しまいには、SNSを見てイライラするのを投稿した人のせいにしてしまう)


そういった意味では、SNSのもうひとつの役割として
自分の心の余裕や自己肯定感を示すバロメーターとして活用するのも
おもしろいかもしれません。


 (※注)生まれつき外部情報に敏感で、周りの刺激を受け取ることで心身疲労を引き起こす
     「HSP」という性格気質(敏感過ぎる人)の可能性があります。