ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

2019年12月

年末のごあいさつ

この度は弊社のホームページにお越しくださり、誠にありがとうございます。

2019年も残すところきょうと明日の2日となりました。

今年も去年に引き続き、多くのご縁をいただくことができました。
ご用命いただいた方、関わりを持ってくださった方に対し、厚く御礼申し上げます。

どうかよいお年をお過ごしくださいませ。


ハートオフィス・あおい
代表  野田 喜敬

  • Category:その他
  • Author:heartoffice-aoi

「自分を知る」ための問い〔♯48〕

みなさま、いつもありがとうございます。

「自分を知る」ための問い〔♯48〕

あなたが「気を付けなきゃ」と感じるのはどんな時ですか?
また、それはどんなことでそう感じますか?


~答えを導き出すヒント~

師走も残すところ1週間弱・・・『年の瀬』と言われるこの時期。

今年中にやっておきたい(やらなければならない)ことや来年の準備等
いつも以上に忙しい日々を過ごすことが多いなか、普段なら気を付けてできていることでも
つい、忘れてしまったり、イージーミスをしてしまったり・・・なんてこともあるかもしれません。

また、忘れものやミスをしないまでも
過去の自分の行為に対する不安・・・例えば、外出したあとで
「テレビのコンセントは抜いただろうか」とか「ちゃんと玄関のカギは閉めただろうか」と
家の様子が気になってしまったという経験をされた方も多いと思います。


どんなときにそう感じるのか・・・

疲れているとき、急いでいるとき、何か悩みごとや問題ごとを抱えているときなど
人によってさまざまですが、共通して言えることは
『心ここにあらず』の状態 になってしまっているということです。

自分のしている行為〔行動〕と頭で考えていること〔思考〕が異なるわけですから
忘れものやミスをしたり、後になって不安になるのも、当然と言えば当然ですよね。。。

そのため、日常生活の中でどんなことが気にかかっているのか
(どんな思考が働きやすいのかを)自身で振り返る必要があるかもしれませんね。

また、それと同時に、日常生活の中で
『何もしない時間』をつくったり、マインドフルネスを取り入れるなどして
「いま、ここ」の時間 を自分自身に提供することも
(「気をつけなきゃ」と思うことを減らすためには)とても大切になってくると思います。

『同窓会』は今の生活の充実ぶりを比べる場所なのか?

みなさま、いつもありがとうございます。

年末近くになると、『同窓会』関する話題がちらほら見られます。

端的に言うと〔出る派〕か〔出ない派〕か?

私は同窓会に出たことで、学生時代のちょっとした “モヤモヤ” だったり
“やり残し” “後悔” みたいなものをほどよく解消することができたので
「参加してよかった」と思っているのですが
(「会いたくない」と思っていた人に会ってしまったけど、「お、意外と “普通” かも」という発見もあった)
中には、「絶対参加したくない」という意見の方もいらっしゃるようです。

「参加したくない」理由は人それぞれなわけですが
私が個人的になんとなく気になっている理由のひとつに
「今現在の生活を自慢したり、マウンティングする人がいるから参加しない」
というのがあります。

確かに、自分と他人とを比較して落ち込んでしまうことって、よくありますよね。
(いい会社に就職しているだの、結婚して子供が何人いるだの etc… )

ただ、その一方で、そのように考えている人は
自分も仮に今 “成功” “充実” していたら、人に自慢したい欲望を強く持っている
からこそそう思うのではないでしょうか。
(自分が「したくてもできない」ことを他人が「している」のが気に入らない)

つまり、他人と比較して自身の人生の価値を図っている ということが言えると思います。

それでは、当然、同窓会に参加したくないですよね。

そういった人たちは、同窓会に限らず
普段の生活においても、他人軸の ”つまらない” 思考に覆われているのかも・・・

他人と比較しない、自分だけの、自分の中の『満足度』を増やしてみる必要があるかもしれませんね。

「♯忘年会スルー」についてどう思う?

みなさま、いつもありがとうございます。

若い世代を中心に「♯忘年会スルー」という言葉がはやっているようです。

つまり、会社の忘年会に出席しないこと。

私自身も若いころそのように感じていたので、気持ちはよく分かります。

「役職のついた人と、何をどう話していいか分からない」
「お金を払ってまで会社の人といたくない」


など、“ありふれた” 理由もさることながら、最たる理由に
会社や仕事における『自己肯定感』がとても低かったこと にある(あった)ような気がします。

「会社に貢献できていない」という思いや
自分の “未熟さ” を痛感させられる場面が数多くあったというか。。

「きょうもこんなに遅い時間までかかってしまった(とにかく、早く帰りたい)」
「またミスをしてしまった」
「上司や同僚にどう思われているんだろうか」
「こんな仕事、○○(期日)までにできるわけないじゃん」
 (← グチ)

そんなこんなのオンパレード・・・


その一方、忘年会は会社での人間関係を構築したり、仕事を円滑に進めるチャンス
(=会社でのストレスを減らすチャンス)でもありますよね。

多くの人に自分を知ってもらったり。
上司や同僚の〔会社では見られない/いい意味での〕違った一面が見られたり。
   ↓↓
 会社でのよそいきな自分と、普段のありのままの自分との差を
 縮めるチャンスという見方もできると思います。


現在、管理職や主要ポストについていらっしゃる方は
仕事の成果を常日頃から上げてきたのはもちろんのこと
そのような “チャンス” を上手に生かしてきた結果でもあるような気がします。


しぶしぶ忘年会に参加するか・・・おもいきって「スルー」するか・・・

きょうも多くの人たちがその選択にせまられているわけですが
(なんていったって、きょうは20日の金曜日ですからね)
個人的な意見としては、忘年会に出たくないような会社で働くのなら
いっそうのこと転職や独立などを考えた方が、(自身の将来のために)いいような気がします。


もちろん、会社そのものも(働いている人たちが忘年会に参加したくなるよう)
仕事内容・職場環境の改善や、風通しの良い組織づくりに努める必要があるわけですが。。。

“医学の祖” ヒポクラテスの言葉25選(2/2)

みなさま、いつもありがとうございます。

きのうの続き、“医学の祖” ヒポクラテスの言葉です。
(前回URL: http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/737

「自分の感情や欲に逆らわないことこそが、自然にあった生き方だ」という見方もできますが
一方で、それらの感情や欲・思考といったものが、大多数 “不自然なもの” から影響を受けていることに
少なからず自覚する必要があるような気がします。


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14.睡眠も不眠も度を越せば悪いしるしである。

15.歩くことは人間にとって最良の薬である。

16.歩くと頭が軽くなる。

17.理由もなしに疲労するのは病氣を意味する。

18.病氣を治すのは医者ではなく身体である。

19.賢者は健康が人間の最大の喜びだと考えるべきである。

20.病人の概念は存在しても、病因の概念は存在しない。

21.心に起こることはすべて体に影響し、体に起きることもまた心に影響する。

22.人は自然に遠ざかるほど病氣になる。

23.人生は思考するものにとっては喜劇であり、感情に流されるものにとっては悲劇である。

24.人間がありのままの自然体で自然の中で生活すれば120歳まで生きられる。

25.人の身体には100人の名医を持っている。
   その100人の名医とは自然治癒力であり、医師はそれを助ける手伝いをする。


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自身の感情や欲よりも、生き物としての “自然な姿” にもう一度目を配るというか・・・

樹木が大きく育ったり、きれいな花が咲くのは
(やはり)根がしっかりしているからだと思います。

“医学の祖” ヒポクラテスの言葉25選(1/2)

みなさま、いつもありがとうございます。

“医学の祖” と言われる、古代ギリシャの医者
ヒポクラテス(紀元前450年ごろ-紀元前370年ごろ)の言葉です。

「自然に逆らった生き方(思考・感情も含め)が病気になる」と考えている私にとって
“見過ごすわけにはいかない” 言葉の数々です。

“うつ” になる(なった)のには、何かしら自然に逆らった部分があると思いますので
普段の生活の中において、少しでも参考になる部分があるといいなと思います。


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1.あなたの食事を薬とし、あなたの薬を食事とせよ。

2.火食は過食に通ず。

3.病氣は食事療法と運動によって対処できる。

4.食べ物によって治せない病氣は、医者でも治せない。

5.食べ物について知らない人が、どうして人の病氣について理解できようか。

6.食ものによるよりも飲料によって回復を図る方が容易である。

7.浄化されていない身体は、栄養を摂れば摂るほど侵される。

8.満腹が原因の病気は、空腹によって治る。

9.月に一度断食をすれば病氣にならない。

10.病人に食べさせると、病気を養うことになる。
   一方、食事を与えなければ、病因は早く治る。

11.飽食も絶食もその他のものも、自然の度を過ぎれば良いことはない。

12.生命を維持するに役立つものは、我々を病にもする。

13.健全なる体を心掛ける者は、健全なる排泄を心掛けなければならない。


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いかがでしたか?

このつづきはまたあした書きたいと思います。

心理職の考える最大の『癒し』とは(2/2)

みなさま、いつもありがとうございます。

前回のプレスリリースにて、『癒される』とは『欲求が満たされる』ことであるとしました。
そして、“ほんとうの” 癒しを得るためには、対人関係の見直しがカギになるということを述べました。
(前回URL:http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/734 )

きょうは少しその部分に踏み込んで書きたいと思います。


人間に様々な欲求があるわけですが
その中でも見逃せないのは、人には『承認欲求』という欲求が存在すること。
簡単にいうと「他者から認められたい、尊敬されたい」と願う気持ちのことです。

この気持ちは、何も大人になって働くようになってから抱くものではありません。

小さな子どもならきっと両親から認めてもらおうとするでしょうし
学校に行くようになればクラスの仲間から認められようと一生懸命になるはずです。


インターネット・スマホなどの普及、あらゆるものの自動化により
世の中が便利になりすぎて、いわば “ひとりで” 何不自由なく生きていける時代。

一方、人間関係が希薄になりすぎて
本来生活の中で簡単に得られた『承認欲求』が得られなくなったというのも事実。


よって、心理職としての私が考える最大の『癒し』とは
『承認欲求』が満たされること にあるのだと思います。

もう少し詳しく書くならば

・心のモヤモヤ・不安・グチを否定せず、丁寧に聴いてもらったこと
・苦しみ・悲しみ・つらさなどが(ひいては、うれしさや痛みといったものも含めて)
 人に分かってもらえたこと
・それによって、自分のすべてを受け入れてもらえたと実感できたこと


といったところでしょうか。

(「最大の(癒し)」というと少しオーバーかもしれませんが、「(癒しの)根源(となるもの)」というと、なんとなく納得していただけるのではないかと思います)


身体が疲れたり凝ったりしたとき
マッサージやリフレなどをしてもらうと、当然「癒された」と感じるわけですが
その根源となっているのは、(マッサージやリフレという)手段だけではなく
施術していただいた方との会話だったり、「 “その人” にやってもらったから」という部分は
実は結構大きいのではないでしょうか。


そう。大切なのは、自分と、自分の身の回りの人たちが持っているであろう
お互いの『承認欲求』を満たすような人間関係を築くことにあると思います。

 心理学の世界では
 『「I am OK.」「You are OK.」の関係』と言ったり
 『ラポール関係』などと言ったりします。


そのため、「癒されたい」と思って一方的に『癒し』を求めるとなると
どうしても他人に期待しすぎてしまう傾向になりますので
(結果、自分の思い通りにならないと人のせいにしてしまう)
自分の周りの人の存在を “認める” ところから始めていただきたいと思います。

心理職の考える最大の『癒し』とは(1/2)

みなさま、いつもありがとうございます。

多くの人々が「癒されたい」と感じています。
(当然、私自身もそう思うときがあります)

『癒し』をテーマにした商品は山のようにありますし
『癒し』に関する職業も数多く存在します。
(ex 整体・マッサージ・リフレ、カフェ、動植物関連、各種セラピー etc… )


そもそも『癒し』とは何なのでしょうか?

医学的には
「脳の視床下部からオキシトシンという物質が分泌されるため」とか
「メラトニンという物質が分泌されて副交感神経優位に働くため」などありますが
少し難しい話になってしまうので
「癒された」と感じるときの構図を簡単に書いてみると・・・

〔手段(癒しを導くもの)〕     〔背景(癒しを求めるもと)
美味しいもの・甘いものを食べる  ( ← さみしい、物足りなさ・虚無感)
好きな友達と会って会話する    ( ← さみしい、グチなど聞いてほしい)
大声を出す、コンサートに行く   ( ← たまったものを発散させたい)
ほぐしてもらう          ( ← 体の疲れ・だるさ・コリを治したい)
アロマ、音楽を聴く、お風呂に入る ( ← リラックスしたい)
深呼吸をする           ( ← リラックスしたい、緊張や不安を取り除きたい)
動物・子どもに触れる       ( ← 優しい気持ちを取り戻したい)
旅行に行く、緑の中を散歩する   ( ← 現実から少し距離を置きたい、気持ちを整理したい)

など。


こんな単純なものではないにしろ、このように考えた場合

「癒される」=「欲求が満たされる」

と言えなくもない・・・

なので、「癒されたい」と思って下手に『癒し』を求めるよりは
自分に何が足りていないのか、何がどうなっているといいのかをちゃんと把握し
それを満たしていくに越したことはないかのもしれません。


また、私の人生経験上、上の例にあげた癒しの手段の多くは
“表面上の癒し” というか、一時性のもので持続性がないような気がします。
(誤解のないように少し言い方を変えると、持続して行わないと意味がないというか)

例えるなら、熱いシャワーを浴びることで身体が温まった気分になるような・・・
(そのときは温かいけれど、すぐに冷えて元の状態に戻ってしまう)

それはそれでいいのかもしれないけど、本来であれば
半身浴のような、“身体の芯から温まる” ようなものでないといけないと思うのです。
(最初はなかなか温かいと感じない。けれど、一旦温かさを感じるとそれが持続する)


なぜ私がそう思うのか?

それは、心理学者アルフレッド・アドラーが
「すべての悩みは対人関係の悩みである」と定義づけたように
人が ”ほんとうに” 癒されるためには、周りの人との関係性を見直すことに
大きなヒントが隠されていると考えているからです。


詳しくはまた次回書きます。

眠れぬ夜に〔♯16〕『通勤する』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯16〕

『通勤する(つうきんする)』とは・・・
『時間を有効に使うこと』である。



〔解釈とヒント〕

都会の電車通勤は地獄です。

またマイカー通勤にしても、ノロノロだったり
危険な運転をする人もいて、ストレスが溜まります。

その一方で、通勤時間は『自分(だけ)の時間』という見方もできます。

職場や学校などでは、もう自由にしていられないし
家にいる時間も、朝はあれこれ忙しいし
夜もあれこれしている間に、すぐに寝る時間になってしまいますよね。

そんな忙しい毎日を送る人にとってみれば
そのような見方(『通勤時間』を『自分の時間』とみる)が特に必要なのかもしれません。


このように、物事全体に対する一部の者の見方を変えることを
『構造主義』という言い方をするのですが
先ほどの例をもう少し詳しく書いてみると・・・

 『1日という時間を全体構造で見たとき
  通勤時間は、地獄の時間であるその一方で
  唯一プライベートを確保できる時間という見方もできる』


ということになります。

そのため、電車の中では
自己啓発に励む人、好きな音楽を楽しみ人
読書にふける人、睡眠を補う人がいるわけですし

また、マイカー通勤にしても
仕事場に向かう時であれば、その日に行われる会議のシミュレーションを頭の中でしてみたり
仕事場から家に帰る時であれば、気分にあった音楽をかけたり、“クールダウン” してみたり・・・

そういった意味では、よくある『ポジティブシンキング』というのも
この構造主義に似たようなところがあるかもしれません。


ついでに! というわけではないですが
ちょっとここで “計算” してみましょうか。。

もし仮に、片道1時間かけて通勤したとすると・・・

1年(240日出勤)で480時間 → 20日間に相当

それを、40年間がんばって続けたとすると・・・

20〔日間〕×40〔回〕=800〔日間〕 → 2年2ヶ月ちょっとに相当

つまり、一生のうち通勤にかけている時間は、2年2ヶ月ちょっとにもなるわけです。
これはもう、有効活用するしかないですよね。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)
 

『 Mr.ブルー ~私の地球~ 』という歌より

みなさま、いつもありがとうございます。

私の好きな歌に、八神純子さんの『 Mr.ブルー ~私の地球~ 』という歌があります。

https://www.youtube.com/watch?v=zeB0xnlRxmI
(Mr.ブルー ~私の地球~ / 八神純子HD(パノラマ太陽系ED風))

1980年に発売された古い曲ですが
私がこの歌の存在を知ったのは、それから20年後の2000年。

連日連夜、遅くまで続く慣れない仕事。無機質な毎日。
「これから一生こんな生活がずっと続くのだろうか」と
ため息交じりに真っ暗な夜道を走らせる車の中
なにげなくかけていたラジオの中からこの曲が流れてきました。

ちょうどこの曲が終わったころ、会社の寮の駐車場に到着。
空を見上げると、見事なまでのまんまるのお月さま。

乾いていた自分の心に、すっとしみ込んでいきました。


そして来年は2020年。
歌が発売されて40年がたとうとしています。

歌詞にある『故郷(=地球)』を傷つけるようなことをしていないだろうか
はたまた『争い』ごとをしていないだろうかちょっと自分を振り返ってみて
これからも自分なりに強く、やさしく、しなやかに、穏やかに過ごしていこうと思います。