ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

2021年02月

選択するときのコツ〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

ちょっと聞いた話ではありますが。

人は
どの学校に行くか、どんな職業に就くか、誰と結婚するかといった
人生の大きな選択のみならず
何時に起き、何を食べ、どんな服を着るかといった
​毎日の小さな選択によっても人生が築き上げられていくわけですが

この『選択』というもの・・・

2つの選択肢があった場合
つい、どちらを選ぶかというように考えてしまうのではないでしょうか。

でもこれは、損得の感情が働きやすく、また
選ばなかった方に対する未練や後悔の気持ちも出やすいようです。

(確かに、そんな気が)

ではどうすればいいか・・・

それは『断つ』方を決めるというもの。

そう。まさに『決断』の字の通り
『断つ』を『決める』。

その方が、理にもかなっているようです。

『出し入れ』という言葉にもあるように、何かを先に “出した” 方が
あとから何か(身になるものが)“入ってくる” 可能性も高いということのようで。

断捨離に似た感じなのかもしれませんね。

母からの手紙

みなさま、いつもありがとうございます。

先日、故郷に住む母から
突然お手紙をもらいました。

(「何事か…」内心気が気でない私)

昔ながらの縦書きの便箋。そこには
季節の移ろいはじめ、面と向かってはなかなか言えないであろう
喜寿を過ぎた母の心情・・・つまりは
残り少なくなったいのちの時間をどう過ごしていきたいのか
過去に対する悔いや心残り、私たち息子に “託す” 想いなど
5枚にわたって隙間なく綴られておりました。

小さいときから、私は母の “カウンセラー”

自分で話をするより聞く方が得意なこと。
自分がいる場所の空気を読んでしまうようなところがあること。
そして、いまの私の職業が、自身のこの世の使命であると感じているのも
今回の手紙だけに限らない、母とのコミュニケーションにあったような気がします。


ちなみに私は、まだ父も健在なので
親を亡くすことの悲しみや喪失感は実際のところ分からないわけですが
親に限らず、大切な人に遺してもらいたいもの・・・それは
『かたちあるもの』に限ったものではなく
こうした『思い』であったり『筆跡』だったりするのかもしれません。

バレンタインデーを前に

みなさま、いつもありがとうございます。

バレンタインデーを前に。

私、40代後半になるのですが、ここにきて(え、どこに?)
どうも、恋に落ちてしまったらしいのです。。。

その人が近くにいると、ちょっとよそよそしくなり
他の男性と話をしているのが聞こえると、すこし気が気でない感じがし
ふとしたとき、その人のことを考えてしまい、頭から離れられなくなる・・・など。

なんだか、高校1年生みたいです(苦笑)​


過去、こんな私にもあった “大恋愛”

運命的な出会い。自分の “心の陰” を受け入れてもらい
「こんなにも人を好きになるのか」というくらい大好きだった人と運よく結ばれ
自分にとってとても幸せな時間を過ごしてきたのに
子どもができないという理由で別れてしまい
「今世の恋は終わり。独りで生きていこう」と半ば “開き直って” 生きているのに。。。


とはいえ、いくつになっても
恋することって、とてもステキなことですよね。

『何もしない』こと〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

人が行うすべての行動や発言が
その人の何かしらの欲求を満たすために行われると考えた場合
(実際にそうなんでしょうけど)

『行動を起こさない』『何もしない』ということは
「いまの環境・状態を維持したい」つまり
「いまのままであり続けたい」という欲求を満たすため
〔行動を起こさない・何もしない〕という考え方ができます。

少し言い方を変えると
『行動を起こさない』『何もしない』ことは
その人にとって、いまの環境・状態が『十分に満たされている』ことなのかもしれません。

『足るを知る』と言いますか。

“ほんとうに” 足らないもの、欲するものがあるのなら
それを補うための行動や努力をしなければなりませんが
そうでなければ、実はそのまま(いまのまま)で全然よいのかも。


十分に〔こと・もの〕が足りているはずのこの世の中のなかで
“ほんとうに” 手に入れたいもの・自分にとって必要なものは何ですか?

いま一度見つめ直してみるのもいいかもしれませんね。

眠れぬ夜に〔♯30〕『夢』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯30〕

『夢(ゆめ)』とは・・・
『はかなさ』である。



~解釈とヒント~

『夢』と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?

寝ているときに見る夢でしょうか?
起きているときに見る夢でしょうか?

寝ているときに見る夢は
睡眠中の人間が、あたかも現実であるかのように
抱いてしまう心像ですね。

これは、精神医学で
オーストリアの精神分析学者、ジークムント・フロイト(1856-1939)が
明らかにした『無意識』の領域です。

人間の心には無意識の部分があって
それは現実の生活と関係しているといいます。

いわば、外に現れない願望が
『夢』という形をとって出てくるのです。


では、起きているときの夢とは何でしょうか?

簡単に言えば、“思い描くもの”

大きく分けて2つあり

ひとつは、「夢を持て」というときの『夢』
(『理想』と言い換えることができると思います)
そしてもうひとつは、「夢のようなことばかり言うな」というときの『夢』
(『幻想』と言い換えることができると思います)

どうして2つのちが違いがあるかというと
おそらくそれは、現実でないものに対する
人の態度の違いに起因しているのでしょう。

つまり、現実ではないものや状態は
肯定的に捉える人と否定的に捉える人との違いになります。

(『理想主義』と『現実主義』の違いといっていいでしょう)


では、なぜ人は同じ『夢』というものに対し
まったく正反対の視点から捉えてしまうのでしょうか?

それは、夢の持『はかなさ』が災いしているのだと思います。

従来、日本でも和歌などに『夢』という言葉が多用されてきましたが
それらはすべて物事のはかなさを表現したものでした。

夢というのは、必ずしも叶うものではないからです。

大きな野望を抱いて、それに向かって一生懸命努力しても
叶わないことがあるのです。

豊臣秀吉の辞世の句に

「露と落ち 露に消えにし わが身かな 浪速のことも 夢のまた夢」

というのがありますが、秀吉は
天下統一が永遠に続くものではないことをすでに感じ取っていたのです。

この『はかなさ』が、夢に相反する2つの評価をもたらすわけです。


さて、ここに冒頭に挙げた、睡眠中に見る夢が関係してきます。

起きている間に人間に抱く夢が
肯定的に受け止められるにせよ、否定的に受け止められるにせよ
いずれにしても『はかなさ』を根底に有しているだけに
寝ているときに見る非現実の夢を同一のものとしてみなさざるを得ません。

ということは、やはり寝ているときに見る夢も
寝ているときの夢と同じ『願望』なのです。

願望であれば、抑える必要はありません。

いくらでも抱けはいいのです。


ただ、問題があって
起きているときの夢は、寝ているときの夢と違って
(起きているときに)行き詰まって夢から覚めても
現実に戻れることはないという点です。

現実の世界で夢を見てしまうと
行き詰まった責任も自分で負わざるを得なくなります。


ただ、その一方で
夢が叶うという利点も忘れてはいけません。

いうまでもなく、これはステキなことですよね。

そう考えると、寝ているときに見る夢くらいは
ありえないほどのステキなものであってもいいですよね。

今夜皆さんが、ステキな夢を見られることを祈りたいと思います。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

がんばらない〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

きょうのテーマは『がんばらない』

『がんばる』とは『頑張る』
『頑(かたく)なに張る』こと。

つまりは『我を張る』ことであり
『他人との境界線を張る』ことである。

頑張れば頑張るほど、また
頑張ろうとすればするほど周りの人に対し
「自分はこんなに頑張っているのに、どうして○○は頑張らないのか」という気持ちが芽生え
(結局のところ、それは、単なる『うぬぼれ』に過ぎない)
やがては、コミュニケーション不足。
しまいには、仲たがいなんてことも。。。

「自分はこれがちょっと苦手」と、気持ちを “素直に” オープンすれば
「それ、自分得意だから、代わりにやるよ」なんてことになるかもしれないし
(その逆もしかり。自分にとって得意なことが増える)
気持ちだけでなく、頬も “緩んでくる”  ・・・つまり穏やかになるので
ちょっとした『チーム感』が生まれ、自分一人で抱え込む必要もなくなる可能性が高くなる。

だから、『頑張る』のをやめる。
(「頑張っている自分が好き」という気持ちもちょっとあったりするわけですが)

なかには平気でそれをやってのけている人がいますけどね。

ちょっとうらやましい。。。

(そう思うところが、ちょっと『うぬぼれている』かも(笑))