ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

2021年05月

前向きになる視点の育み方(1/5)

みなさま、いつもありがとうございます。

過去にお送りしたテーマ『なぜ人は「昔はよかった」と思うのか』において
「昔はよかった・・・」そんな気持ちを小さくするための具体的な方法のひとつに
『前向きになる視点』を育む ことをあげたわけですが
(該当URL : http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/586
具体的にどのように育めばいいのか、きょうから5回にわたって書いていこうと思います。


〔1〕達成可能な目標を持ち、それを実行する

すごくありふれたことなのですが、実は意外とおろそかにしがちなこと。

『前向きになる視点』を育むためには
〔自信〕〔自己肯定〕〔成長〕といったものがキーワードとなってくるわけですが
年齢を重ねていくにつれ、気力・体力など衰えていくのが自然なので
日頃から意識して行っていく必要があると思います。

とはいえ、いきなりハードルの高い目標を掲げても、続かないのは百も承知。

そのため、目標は達成しやすいものにし
達成を積み重ねることで〔自信〕や〔自己肯定〕につなげ
さらに「もっと〔よくしたい/うまくなりたい〕」という意欲がわくことによって
〔成長〕へとつながるような流れをつくるのが一番良いような気がします。


では、具体的にどのようなものを『達成可能な目標』にすればいいのでしょうか。

結局のところ、自分でやってみて前向きな気持ちになるようなものであれば、何だっていいと思います。
(どんなに小さくても構わない。むしろ、小さい方がいいくらい)

・毎日20分歩く
・毎日10回腹筋をする
・1ヶ月に1冊本を読む
・家の一部分をピカピカにする(それを日ごとに場所を変えていく)
・短時間で成果となって現れるものをこなす(ex 物作り、塗り絵、パズル的なもの etc… )

など。


前向きな気持ちになるために(健康でいられるように/ ”うつ” にならないために)
よく「趣味を持ちましょう」と言われることがありますが
趣味を持とうとすると、ハードルが上がってかえって何もできなくなってしまうので
『前向きになる視点』を育むためにやり始めたものが、結果的に『趣味』になっている といいのかなと思います。

愛の周波数528Hz(その2)〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

きのうのコラムにて『528Hzは愛の周波数』と紹介しましたが
きょうはそれについて詳しく。
(該当URL:http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1041 )    


なぜ528Hzがいいと言われているか・・・それは
『自分自身が思う理想への転換、奇跡、DNAの修復をもたらす』効果がある
とされているからです。

(こんなふうに書くと、ちょっと宗教っぽくてあやしいと感じるかもしれませんが)


もう少し詳しく書くと・・・

2つの塩基が二重の螺旋状となって構成されているDNA。
この塩基2つとも破壊され、死んでしまうことによって生物の『老化』が起こるわけですが
(塩基1つだけの破壊は、もうひとつの塩基によって修復される)
528hzの周波数は、この両方破壊されたものが修復されるという実験検証が得られていて
海外の医療の現場では、この528Hzの周波数を治療の一環として活用され始めているとのこと。

(なぜ日本では浸透しないのか…とある業界の圧力がある(?))

うつ病やパニック障害などの精神疾患からガンなどの肉体疾患まで
幅広くその効果が認められ始めているらしいです。


YouTubeなどにもたくさんアップされている中
実際にそれらが ”ほんとうに” 528hzの周波数で奏でられているかどうかは確かめられないので
ちょっと微妙なところがあるわけですが
もし、日ごろから疲れのようなものを感じていたり、どこか身体で気にかかる箇所があるような場合
これらの中から、自分にあった、心地よいと感じるものを聴く習慣をつけるといいと思います。

愛の周波数528Hz(その1)〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

日常生活において
人との会話、テレビや音楽など、意識的に耳を傾ける〔聴く〕音もあれば
車の走る音、鳥の鳴き声など、自然に入ってくる〔聞く〕音があるわけですが
昨今はこの『音』に関する研究も進んできて
特に心地よいと感じる音の代表的なものに
『1/fのゆらぎ』や『ソルフェジオ周波数』というのがあるそうです。

『ソルフェジオ周波数』・・・少し聞きなれない言葉ですよね。。

『ソルフェジオ周波数』とは
「ドレミファソラシド」の音階を作る際に基準となる周波数のこと。
(多くの場合「ラ」の音がその周波数になっている)
(つまり、この周波数の設定によって、「ドレミファソラシド」の音も微妙に異なる)

そして、いろいろな『ソルフェジオ周波数』の中で
最もよいとされるのが『528Hz』の周波数とされています。
(別名『愛の周波数』という)

あす5月28日の ”語呂合わせ的な意味合い” でこのテーマにしたわけですが
その『愛の周波数』なるものについて、明日詳しく紹介致します。

パパとなっちゃん(追悼:田村正和さん)

みなさま、いつもありがとうございます。

俳優・田村正和さんの訃報のニュースで
悲しまれた方、驚かれた方、きっと多いと思います。

数多くの出演ドラマのなかで、私が思い出すのが
ちょうど30年前の今頃(91年4-6月期)に放映されたドラマ
『パパとなっちゃん』

妻に先立たれあと、男手ひとつで娘を育て
その愛娘が結婚適齢期を迎えたことによって生じた複雑な父親心と
まだ奥さんが健在だった、娘の小さい頃のエピソードも一緒に織り込んだ
ちょっぴりせつないホームコメディドラマ。

娘役だったキョンキョンが歌ったドラマの主題歌
『あなたに会えてよかった』が大ヒットしたもの印象的。


そのころ、私は高校2年生。

“キョンキョン” とあだ名のついたかわいい部活の後輩に
「野田先輩っ!」と呼ばれ、クールを装いながらも
「おおっ、“先輩っ” って呼ばれちゃったよぉ~」と
内心ニヤニヤしてたのもよき青春の思い出のひとつ。


そうか。考えてみれば
ちょうどいまの私の年齢くらいの時に
田村正和さんはこのドラマの父親役を演じたことになるんだな。

ちょっと感慨深い。


亡くなった人に対しては、よく
「お悔やみ申し上げます」などの言葉が使われるわけだけど
最近、私は「ステキな思い出をありがとうございました」という言葉を
お伝えしたいと思うようになりました。

眠れぬ夜に〔♯33〕『未来』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯33〕

『未来(みらい)』とは・・・
『いまを生きること』である。



〔解釈とヒント〕

眠れない夜に未来に対して思いをはせるのは
いい面も悪い面もあるでしょう。

いい面は希望を持てる点、悪い面は希望を持てないという点です。

つまり、未来というのは先の話であるだけに
そこに明るい兆しがあればそれは明るい未来としていい意味を持ちます。

これに対し、明るい材料が何もなければ
未来は希望を持てない暗いものとして悪い意味を持つのです。


しかし、一般的に未来というのは、いいニュアンスで捉えます。

過去、現在、未来という3つの時代区分の中で
もっとも輝かしいものとして描かれるのです。


「TIME タイム」というSF映画があります。

25歳で成長が止まり、あとは
富裕層には永遠の命が与えられるのに対して
貧困層は余命1年だけが与えられます。

彼らは労働によって時間を稼ぐか、人からもらうか奪うかによって
寿命をのばすほかないのです。

ここでは時間が通貨として流通し
人々は稼いだお金で、いや、時間の分だけ生きられるのです。

貧困層の人間は、常に時間とにらめっこして生きなければなりません。

おそらく彼らには未来などないのでしょう。

あるのはきょう1日をいかに生きるかだけです。

反対に、永遠の命が与えられた者はどうかというと
これもまた未来に希望を託すことなどありません。

同じことが続くだけの人生・・・

中には、自ら命を絶とうとする者も出てきます。


つまり、 残された時間のない者も、有り余るほどある者も
ともに未来に希望を託すことなどできない
​ のです。

結局のところ、彼らは いまを生きている のです。

実はこの映画の登場人物に限らず
人間は皆そうなのかもしれません。

それは未来という時間の意味を考えれば分かると思います。


例えば、古代キリスト教の哲学者アウグスティヌス(354-430)は
未来を含む時間について、人間と心との関係で捉えています。

過去、現在、未来などとあたりまえのようにいいますが
実際は過去などというものは存在しません。

過去は “過ぎ去っている” のですから。

未来も同じ・・・まだ “ない” 存在なのです。

その意味で、あるのは今だけ です。

にもかかわらず、私たちはこの3つの時間を抱き
それぞれを区別しようとします。

それは私たちの心が、今を実感するだけでなく
過去を記憶し、未来に思いを馳せるからです。

また、アウグスティヌスは、時間とは延長だとも言っています。

つまり、過去、現在、未来という3つの方向に心が延びるイメージなのでしょう。

現在を起点に、私たちの心は
今にも、過去にも、未来にも延びていきます。

ときにそれは後悔という形をとって、ときに期待という形をとって。

でも、それらはいずれも
いまをどう生きるかという問題にほかならない のです。

そう考えると、いま、この時間を
ポジティブな気持ちをもって生きた方がいいのか
ネガティブな気持ち(を抱えたまま)で生きた方がいいのか
おのずと答えが決まってきそうですね。

まだ誰も知らない、明るい未来を信じて。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

自分の代わりにやってくれた人に感謝する〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

前回のコラム
『自分の代わりはいくらでもいる』に少し関連付けて。
(前回URL:http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1030 )


よくあるコンプレックスのひとつに

「人にはあって(できて)、自分にはない(できない)」

というのがあります。

仕事や勉強、家事、子育てを効率よくやることをはじめ
資格の有り無しや、外国語を話すといった『能力』
美味しいものを食べたり、休日にお出かけする『時間』
家族を持つこと、家を建てること、好きな物を所有すること・・・

挙げればきりがありません。


こんなとき、少し大きな気持ちをもって

「自分の代わりに、その人が持ってくれている」
「自分の代わりに、その人が身につけてくれている」


と思うことができたら、どんなに気持ちが楽になるでしょうか。
(かなり難しいですけどね)


前者に挙げた、仕事や勉強、資格、外国語を話すことなどは
自分ができなかった(やろうとしなかった)代わりに
その人が頑張って身につけてくれたわけなので

「自分の代わりに頑張ってくれてありがとう」

と、エールを送ればいいわけですし

後者に挙げた、美味しいものを食べたり、休日にお出かけすること
はたまた、家族を持つこと、家を建てること、好きな物を所有することなどは

「自分の代わりに(楽しい/幸せな)気分を提供してくれてありがとう」

と、しあわせな気持ちをもらってしまえばいいと思います。


そう。大事なのは
「あいつばっかり…」と妬んだり、自分を卑下したり
うらやましいと思う気持ちをできるだけ小さくして

「代わりに○○してくれて、ありがとう」

と、感謝する気持ち。

この気持ちがもてるようになると、コンプレックスそのものがなくなるわけですし
人としての器もすごく大きくなるような気がします。

かくいう私も、身の回りの人に感謝できるよう
ちょっと気を付けてみたいと思います。

自分の代わりはいくらでもいる〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

ゴールデンウイークが終わり
『五月病』なんて言葉が頭にちらつく(かもしれない)今日このごろ。。


人に言われて傷つく言葉のひとつに
職場などで、上司が部下に使うセリフにありそうな
「お前の代わりはいくらでもいるんだ」
(いまの時代、パワハラと認識されかねないですが)
というのがあると思います。


でも、よくよく考えてみると
基本、自分の代わりにいくらでも人はいるわけで
『自分にしかできないこと』って、ほんとうに皆無なんですよね。

なので、これを肯定的に

どこか出かけたいと思って、休日や長期連休までガマンして待つよりは
週間天気予報で、天気のよさそうな平日を見計らって有休をとり
お出かけしてしまえばいいと思うのです。
(その代わり、仕事に後れをきたさぬよう、しっかり調整する)

苦手な仕事は無理に抱え込まず、「苦手だ」と言ってしまえば
それを好きだという人・得意な人が現れてくれると思うので
さっさとその人に託してしまえばいいと思うのです。
(その代わり、自分の好きなこと・得意なことは引き受ける)

家事や子育てにしても、自分ひとりでと抱え込まず
探せば支援してくれるところがあると思いますし
近所の人や先輩ママからいろいろ教わればいいと思うのです。
(以前はそういった ”ご近所付き合いの文化” が根付いていたように思う)


自分ひとりで抱え込んでしまうということは、裏を返せば
『周りの人を信頼していない』という見方ができるかも。

だから ”おもいきって” どんどん人にお願いをしてみませんか?

『自分の代わりはいくらでもいる』ことを肯定的に捉えられるように。

最初はどうしても罪悪感みたいなものがついて回るので
ちょっとした ”訓練” になりますけどね。

慣れてしまえば、とても楽チンな世界が待っていると思いますよ。

毎日頑張って料理をつくるお母さんに捧げる ~もうすぐ母の日~

みなさま、いつもありがとうございます。

以前、子どもの弁当に冷凍食品を入れることが手抜きかどうかで
ネットが賑わったことがあったのを、ふと思い出しました。


何も手を抜きたくて抜いているわけでもないだろうに。。。

まぁ、弁当の中身すべてが冷凍食品だったら
さすがにちょっとどうかと思うけど
隙間を埋めるのに冷凍食品はもってこいの商品ですよね。

また、キャラ弁つくる人が
いかにもよいママさんであるかのように感じさせるような風潮もいかがなものかと。
(そう解釈している私自身、少し見方が偏っているかもしれないのは承知の上)


で、何が言いたいのかよく分からなくなってしまいましたが
弁当に冷凍食品を入れることは『手抜き』ではなく『手間抜き』

弁当に冷凍食品を入れることが手抜きだという考えが
それこそ『間抜け』なのかもしれませんよ。


おあとがよろしいようで(笑)