眠れぬ夜に〔♯6〕『憐れみ』とは?
みなさま、いつもありがとうございます。
眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔#6〕
『憐れみ(あわれみ)』とは・・・
『すごいと称賛すること』である。
〔解釈とヒント〕
普段の生活において感情を素直に出すということはあまりないし
実はなかなか『できない』ことだと思います。
もし家に帰って眠りにつくとき
感情を言葉にすると、どのような言葉が出てくるでしょうか・・・
「毎日つらい、身体が重い」
「評価されずに悔しい」
「○○にあんなことを言われて、すごくむかつく」
「ちょっともう泣きたい気分」
「こんなに頑張っているのに、全然報われない」
etc…
人によっては、そんな言葉ばかり出てくるかもしれません。
また、そんな姿を仮に見てしまった場合
見た人は(その人を見て)憐れむ気持ちを持つかもしれません。
でも、人にどう思われようと
感情を外に出してみると『気持ちがいい』ことは
誰もが経験あると思います。
(『カタルシス』なんていいますね)
今でこそ『憐れ』という言葉は、否定的な意味で使われますが
本来の意味は、みなさんも古文の授業で習ったことがあるように
「深くしみじみと心をひかれること」
です。
泣くことも弱音を吐くことも
本来、人間として〔あたりまえの〕〔自然な〕姿。
そしてもうひとつ、この『憐れ』について
『もののあはれ論』を展開した江戸時代の国学者、本居宣長(1730-1801)によると
「もののあはれ」とは
人が物事に触れたとき、そのものの本質を直感的に感じ取り
素直に深く心を動かすさま
のことをいうそうです。
つまり、「あはれ」とは
「ああ」「はれ」と心が感動した声がそのまま感嘆として外に出たもの なのであり
美しいものを見て素直に美しいと感じるといった人間性の自然の表れをいうわけです。
この社会では、感情を外に出すことのできない人が多いわけですが
感情を出すということは、人間としての大事な本質であるので
弱音を吐いた人を見て『憐れむ』のではなく
むしろ「あっぱれ」と言えるような社会になればいいなと思います。
(ただし、『感情を出す』ことと『感情的になる』ことをしっかり区別しないといけないですけどね)
(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)