ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

『こころのケア:統合医療セミナー』ご案内(2019/12/8 @名古屋)

みなさま、いつもありがとうございます。

当方が企画・設立に携わった一般社団法人『家族と心の研究所』と提携関係にある
統合医療『クリニック徳』の高橋徳先生主催によるセミナー
『第6回こころのケア:統合医療セミナー』が開催されます。

「統合医療」とは、西洋医学と東洋医学の長所を取り入れ、お互いの短所を補い合う医療のことです。

「こころのケア:統合医療セミナー」では、医師・カウンセラー・ヨーガ療法士・気功療法師、鍼灸師などが協力して、メンタルケアに当たります。
この国の心の病いの臨床を変革していくための、新しい試みです。

薬物治療のみに依存してしまっている現在の医療に不安を感じている方に、ご参加いただければと思っています。
また、みなさん一人ひとりが医師や薬頼みにせず、セルフケアの意識を持ち、薬漬け医療から脱却していただければと願っています。
スタッフが個々の方々に密接に向かい合うため、少人数制(定員10名)とさせていただきました。
定員になり次第、申し込み受付けを終了させて頂きます。


    ~ 記 ~

日時:2019年12月8日(日)
   10時~12時 座学・うつ病患者の体験談・気功
   13時~18時 ヨーガセラピー・マインドフルネス瞑想
           腹式呼吸・運動・散歩・フォローアップ
           セルフケアの指導/カウンセリング/鍼治療(希望者)
   18時~20時 懇親会(希望者)

場所:クリニック徳 http://clinic-toku.com/
   (名古屋市中区栄2-10-19 名古屋商工会議所ビル11階)
   (地下鉄伏見駅5番出口徒歩5分)

定員:10名

料金:8500円(税込)

お問い合わせ・申し込み:クリニック徳
            Tel 052-221-8881
            fax 052-221-8882
            kenkodojoclinic@gmail.com
            http://www.formpro.jp/form.php?fid=59410

眠れぬ夜に〔♯14〕『運命』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔#14〕

『運命(うんめい)』とは・・・
『強く生きるための条件』である。



〔解釈とヒント〕

ふと、自暴自棄になりかけたついでに
「どうして自分はこんな家に生まれてきたんだろう」とか
「どうして自分ばかりこんな嫌な目に合うんだろう」など
自分の運命が嫌になることはありませんか?

その運命というもの・・・

何かしらの困難や努力の過程において「乗り越えられる」という発想もできますし
その困難や努力を克服した際「乗り越えられる運命だった」ということも
(当事者であれば)ある意味自慢げに言うことができるわけですが、悲しいことに、すべては結果論。

なので、結局のところ「運命は神のみぞ知る」ということになり
運命を乗り越えられたかどうかは、誰も確証を持つことができません。

そう。運命とは基本的に逃れられないもの。

そのため「どうせ神様が運命を決めているのだから、努力しても無駄だ」と
つい考えたくなります。

この「どうせやってもダメなら、やらない方がいい」という態度は
ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)のいう
ニヒリズム(虚無主義)という考え方なのですが、この考えは
決していい結果をもたらすものでないことはなんとなく想像がつきますよね。

(何もとげられないまま人生を終えてしまう可能性がある)


そこでもうひとつニーチェが出し導いたものがあり
それは『運命愛』という考え方。

説明すると・・・

基本的に苦しいことばかりで、その苦しさから逃れることができないこの世の中・・・
であれば(ある意味開き直って)「運命を受け入れてしまいましょう」という態度のことです。

逃げても仕方ないなら、受け止めるしかなく
まさに「運命を愛しましょう」ということ。

それができたときにはじめて人間は人間であることを超越し『超人』になれるというわけ。

『超人』とは強く生きることのできる人のメタファー(例え)だと言えるので
そういった意味では、『運命』とは『強く生きるための条件』のようなものなのかもしれません。


そして最後に、もうひとつ。

『運命』は「命を運ぶ」と書きますよね。

困難にもめげず “命を運び続ける” ために
私たちは運命が必要だということができると思います。

そのためには、失敗も含め、すべてを受け入れる強さが必要なのかもしれません。

失敗を隠さない人ほど強い人はいないですからね。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

発酵と熟成

みなさま、いつもありがとうございます。

前回のコラムでは、10月13日の『豆の日』にちなみ
豆に関するつぶやきを書いてみましたが、今回も少し関連付けて。
(前回URL: http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/701

それは、発酵と熟成に関して。

発酵はたくさんの微生物の力を借りながら
一定以上の時間をかけて行われる自然の営みで
食材をおいしくしたり、栄養価を高めてくれたりと
免疫力の向上に大きな力を発揮してくれます。

例えば、大豆をそのまま一粒食べると、“いただく命” はひとつですが
納豆という発酵食品になると、その命は何億にもなります。
(何億もの納豆菌が “命” として存在することになります)

つまり、発酵という時間と手間をかけることで
有能な働きをしてくれるたくさんの『生命力』を
一緒にいただくことができるというわけ。

それ以外にも、発酵食品には
免疫力の70%をつくっているといわれる『乳酸菌』が含まれており
腸内環境を整えてくれる効果があるわけですから
まさに一石二鳥、一石三鳥にもなる食品といえそうです。

また、発酵と同じく、時間をかけて寝かせる『熟成』も
私たちに様々な恩恵と気づきを与えてくれます。


この、発酵と熟成・・・

共通していえるのは時間をかけて、じっくり行うこと」

そう。食べ物が発酵・熟成によって食材そのもののはたらきを高め、他の存在への有能なはたらきを増やしていくように
私たちが日々行っていることのなかにも
ある一定以上の時間をかけることで育まれていく大切なものがあると思います。

そういった意味では、時間をかけてゆっくり進む発酵や熟成という現象は
日々せわしなく働いている私たちに
「もっとゆっくりでいいんだよ」というメッセージとともに
本当の自然界のリズムを教えてくれているのかもしれません。

豆に関する話

みなさま、いつもありがとうございます。

すでに今年は過ぎてしまいましたが、一昨日の10月13日は『豆の日』なのだそうです。

なぜこの日が豆の日になったかというと

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本において古来から
旧暦の8月15日と9月13日に月をめでる月見の風習があるわけですが
(8月15日→十五夜、9月13日→十三夜)
昔(月見団子の前)は、ちょうどそのころに収穫される作物として
十五夜には里芋を、十三夜は豆をお供えして食べる習わしがあった・・・

旧暦の9月13日は新暦にするとおよそ10月13日になることから
その10月13日を『豆の日』にした


(ちなみに十三夜は『豆名月』と呼ばれています)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

のだそうです。


さて、本題。

日本人が昔から豆類を大切に扱ってきたことはみなさまもご承知かと思います。

特に大豆を発酵させて作る味噌・醤油・納豆などは
健康・長寿で知られる日本の食文化の代表として海外にも広く知れ渡っています。

また、このほかにも

頭・・・・・・・豆を食べると頭がよくなる
喜ぶ・・・・・・豆を食べるとカラダが喜ぶ
豊か・・・・・・豆を食べると心が豊かになる
嬉しい・・・・・豆を食べると嬉しくなる
登る・・・・・・豆を食べると山に登るための体力がつく
厨(くりや)・・食事を作るための場所

といったように、『豆』を含む漢字を見ても、その大切さを伺い知ることができます。


また、このほかにも、豆にはこれから発芽して生長し
新たな生命を育むためのエネルギーが凝縮されています。

ひとつの生命体を育むための “源” をいただくことは
食べ物を丸ごといただく(一物全体)という考え方にもつながりますよね。

例えば
穀物で言う全粒・・・
小魚で言う皮ごと骨ごと頭ごと・・・
野菜で言う葉ごと皮ごと根っこごと・・・

つまり、あの小さな一粒の中に、生命体を維持するために必要な栄養素が
自然のままの理想的なバランスで含まれているということになります。


豆に食べると、まめに動くことができ
こまめにカラダを動かす人は、足腰の筋肉が衰えにくく
いつまでも健康でいられるということで・・・

まめに豆を食べて、きょうもこまめに動くとしますか!

日々過ごしていく中にある感動や新鮮〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

以前のコラムにて、感動の反対のことば〔退屈〕について述べたわけですが
(参照URL: http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/698 )
どうすれば感動を損なわないようになるのか、その工夫の仕方について書いてみたいと思います。


私は日常生活の中で、比較的よく歩くようにしているのですが
その『歩く(ウォーキング)』というひとつの行為をとってみても
まずひとつ、道順を逆回りにしてみることによって
いつもは上り坂だったのが下り坂になり
夕焼けを背にして歩いていたものが、赤い陽を正面に見ながら歩くことになり
また、エントランスばかり見ていた近所のマンションは
たくさん並んだバルコニーを眺めることになりますよね。

そのほかにも、車が対向方向から来ていた一本通行の道は、車が背面からくることになりますし
いつもは目立つお店の看板も、どこか物憂げに見えるかもしれません。

それ以外にも、ひとつ違った路地を歩くことによって
(いつも見慣れた)近所の風景と感じられない、まったく違った風景や光景に出合えたり
「こんなところにこんなお店があったんだ」といった発見があるかもしれません。


また、季節を感じる『色』に着目して歩くだけでもステキですよね。

例えば、これからの季節。
なんといっても紅葉の赤や黄色がめだつときなので、それらの色に着目してみる。
そして、もう少し寒くなったら、暖色系の色に着目して歩いてみる・・・など。


きょうのお仕事の帰り、ちょっと寄り道してみませんか。

いつもと違う発見があるかもしれませんね。

『感動』の反対のことば〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

前回のコラムにて、感動することの素晴らしさについて述べたわけですが
(参照URL: http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/694 )
今度は逆に、『感動』の反対について少し考えてみたいと思います。


『感動』の反対・・・
それは『退屈』ということになるかもしれません。

一般的な『退屈』というと
「やることがない」とか「時間を持て余している」状態のことを言いますが
ここでいう『退屈』は
「脳に新鮮な状態が行き届かない」ことだったり
「自らその情報をキャッチすることを拒んでいる」ような状態のことです。

つまり

「どうせこんなもの」
「何をやってもおもしろくない」
「もういい歳だから」

と自分に “ストッパー” をかけてしまうような行動や発言。

( “頭のいい人” って、意外とこういった傾向が強いですよね)

こういった “ストッパー” の積み重ねが
老化だったり、はたまた、うつ病や認知症といった
脳の病気を進ませるような気がしてなりません。

そのため、前回コラムの繰り返しになりますが
日々過ごしていく中で、小さな感動を積み重ねていく。

また、たとえ「小さな感動が難しい」と思う方がいらっしゃっても
ちょっとした工夫で退屈から逃れることができると思います。

人生の『かきくけこ』〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

人生を豊かなものにする『かきくけこ』というのがあるそうです。

その『かきくけこ』とは

『か』・・・「感動」
『き』・・・「興味」
『く』・・・「工夫」
『け』・・・「健康」
『こ』・・・「恋」

(理由を書かずとも、「なるほど!」と思われたのではないでしょうか)

その中でも、外せないもののひとつに
最初の『か』=『感動』があります。

というのも、これが上手にできるようになると
自然とあとの『きくけこ』がついてくるような気がするのです。

「感動する」ということは、ただ何かを漠然と感じ取ることよりも
何倍もの高揚感や気持ちの集中力を高めてくれますし
ときに、一生の心の支えとして記憶されることも多いと思います。

もし仮に、1日に何回も感動できる人は
たっぷりとした幸福感の中で1日を過ごすことができるでしょうし
そうでなくても、素晴らしい映画やドラマを見たときや
素晴らしい本に出合ったりステキな話を聞いたときに流す涙は
まさに “心の癒し” といってもいいのかもしれません。

また、「きょうは何か感動することはありそうかな」
そう思いながら過ごすだけで、ちょっとワクワクした1日になるかもしれませんね。
 

「自分を知る」ための問い〔♯45〕

みなさま、いつもありがとうございます。

「自分を知る」ための問い〔#45〕

残りあと3ヶ月、今年中にやっておきたいことは何ですか?


~答えを導き出すヒント~

2019年9月も下旬の下旬。
まだまだ夏のような暑さが続きますが、残すところあと3ヶ月となりました。

時間単位がおおよそ『3の倍数』で区切られていること
(1分=60秒、1時間=60分、1日=24時間、1ヶ月=約30日 etc…)
また、『三日坊主』『石の上にも三年』ということわざがあるように
時間を絡めて物事を考える際、何かと『3の倍数』をひとつの区切りをして考えることは
みなさまにもなじみがあるのではないかと思います。

(物事を継続できるかどうかの期間の目安のひとつに『3ヶ月』というのがありますよね)


ちなみに、この質問に対する私の個人的な回答といたしましては
残り3ヶ月を、季節でいう『秋』と捉え、秋にまつわる行動ができればいいかなと思っています。

少しわかりにくいですね。

つまり、秋と言えば『実りの秋』ということで
今年の成果(+もうすぐ達成するであろう成果)に携わっていただいた環境に
まずは感謝する気持ちを示すことでしょうか。


例えば、『人』に対して

軽くお茶をする。楽しい時間を共有する。
「いつもありがとう」と伝える。

そして、『物』に対して

汚れをしっかり落とす。メンテナンスをする。
『いるもの』と『いらないもの』にざっくり分ける。
(実際に処分するのは、冬(来年1~3月)の季節)

最後に、『自分自身』にたいして

いい景色を見に行く。おいしいものを食べる。
(余裕があれば)自分自身をもう少し追い込んでがんばってみる。

など。

あまり難しいことは考えず、“普通のこと” をしっかりやっていく。


みなさまはいかがでしょうか?


ただ毎日なんとなく過ごしていくよりも
本日とりあげたこのような質問を〔意識的に〕〔定期的に〕問うことは
自分らしく、また、意味のある人生を送るうえでとても大切な気がします。

年齢を重ねると可能性はなくなる。その代わり・・・〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

「若い頃は可能性がたくさんあるんだから、がんばりなさい」
なんて言葉をよく耳にします。

『頑張る』よりは
「いろんな経験をして〔自分〕を見つけなさい」
ということになるでしょうか。

そして、この言葉と同時に
「年を取ると可能性がなくなる」
という言葉もよく耳にします。

確かに、気力・体力も少しずつ衰えてくるし
そこまで『頑張る』(自分の可能性を広げていく努力をする)必要もないだろう・・・
と私自身も感じることが多いです。


ただ、この言葉だけで ”片づけてしまう” のはちょっとせつない・・・

そこで感じていただきたいことがひとつ。


確かに、年齢を重ねていくと可能性はなくなる。
その代わり、年齢を重ねることで “増える” ものがある。

それは、ずばり『リソース』のこと。

『リソース』とは
いままで築き上げてきた経験・人間関係・財産(物)・環境のこと。


もし仮に、いまが少しつらいと感じるようなとき
自分の『リソース』を思い起こさせるような作業を行うことも時に大切なのではと思います。
(ただ、つらさが重い場合、かえってつらさが大きくなってしまう可能性があるので注意が必要ですが)

・ “自分らしさ” を感じさせてくれる友人に会う
・過去に熱中していたものに目を向けてみる
・自分が輝いていたと感じる場所を訪れる

など。


また、自分の『リソース』を上手に思い起こさせることができないのであれば
『Youtube』にて、むかし自分が見ていた映像や聴いていた音楽を楽しむだけでもいいのではと思います。

いまは “過去が手に入る” 時代ですからね。

懐かしい映像や音楽を聴いて
「こんな素敵な時代を自分はいきてきたんだ」と。


もちろん(さきほどの繰り返しになりますが)
単に「昔はよかった(それなのに今は・・・)」と嘆くのではなく
『肯定的に振り返る』ことができるかどうかがポイントとなってきますけどね。
 

環境問題の解決は人の『欲』を制することにあり!?

みなさま、いつもありがとうございます。

スウェーデンの16歳の少女、グレタ・トゥーンベリさんが発端となり
世界中の若者が一体となって、環境問題に関するデモが世界各地で繰り広げられています。

地球温暖化に代表される、この悩ましい環境問題・・・

以降、私の個人的解釈ですが

環境破壊の大きな要因のひとつに、過剰な資本主義にあるような気がします。
(と申しますか、この1点に過ぎないかも)

そして、この過剰な資本主義を生むのは、まぎれもなく人間の『欲』


『省エネ』『ごみの量を減らす』といった目に見える環境対策はもちろん必要なのですが
常日頃から(ex 買い物をするとき、休みで時間を有効に使えるとき etc… )

「ほんとうにそこまでして必要な(欲しい)ものなのか」
「ほんとうにそこまでして〔行きたい/やりたい〕ことなのか」

自分自身に問いてみる必要がありそうです。

(ストレス解消のため服などたくさん買ってみたものの、結局使わず “タンスの肥やし” )

もちろん、無理に欲を抑える必要はないですけどね。

ただ、簡単な手段によって自分の欲を満たす方法は
(ex 食べる、飲む、ものを買う etc… )
過剰な物の生産を生み出すことになりますし(同時に、エネルギーの消費・ゴミの増大につながる)
過剰な資本主義、ひいては環境破壊を導くことと直結するような気がします。

よって、環境問題を解決させるための手段の一つに
地球上の人間一人ひとりが、自分の『欲』を上手にコントロールし
制することにあるといっても過言ではないのかもしれません。