ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

眠れぬ夜に〔♯12〕『家族』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯12〕

『家族(かぞく)』とは・・・
『助け合いの集団』である。



〔解釈とヒント〕

家族のことで悩んでいる人はものすごく多いと思います。

例えば

・親の期待に応えないといけないと思って悩む
・夫婦や親子、兄弟の仲が悪くて悩む
・家を継がなくてはいけないと思って悩む

さらに大きなところでいくと

・家庭内暴力 ・引きこもり ・虐待やDV

etc…

では、なぜこれほどまでに家族のことで思い悩んでしまうのでしょうか・・・

それは、いうまでもなく
『血縁関係』にある人だからということになると思います。


しかし、もともと英語の『family』という言葉は
『血族』を意味するものではありませんでした。

『family』の語源であるラテン語の『familia(ファミリア)』には
『財産』という意味の他、『経済的な集団』の意味があり
血族だけでなく従者もその一員として数えられていました。

したがって、血縁関係にあるからといって
必ずしも運命共同体のように思いこむ必要はないという言い方も
見方によってはできると思います。


大事なのは、血縁関係にあろうがなかろうが
自分の属している集団が、生きるためにお互い助けられる集団であるかどうか ということ。

喜び・悲しみ・怒り・憎しみ etc…

これらのものをお互いに共有しあい
より “分かり合える” 関係でいられるような・・・

そう。

家族とは『助け合いの集団』であり、血はつながっていなくても家族にはなれるのです。

メンタルヘルス対策で大切なことは
その所属している団体が、この『家族』の解釈(助け合いの集団)のような関係にあるかどうか・・・

とても大きなカギであるような気がします。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

ひとりカラオケの醍醐味

みなさま、いつもありがとうございます。

私の好きなことのひとつに
『ひとりカラオケ』があります。

好きな曲、思い出のある曲、元気が出る曲
人目を気にせず(なんせ1人ですから)思いっきり歌う、、

大声を出すことは、実に気持ちがいいものです。
(実際、脳にも体にもいい効果があるようです)

ある曲を歌った日には
急に目の周りが熱くなって、涙がこみあげてきたり、、

そんな経験をお持ちの方、意外といらっしゃるかもしれませんね。

涙が出るのは、歌詞のフレーズを口にしたからなのか
歌手や作詞・作曲者の人柄を感じたのか、はたまた
その歌が流行っていたころの心象風景を思い出したからなのか
様々な理由があるわけですが、いずれにしろ琴線に触れたということは
それらのものが、これから生きていくうえで心の支えのような役割を果たしてくれる気がするのです。

なにもこれは歌に限らず
音楽であったり、本・映画であったり、絵・作品であったり、景色であったり・・・


本来の自分に “軌道修正” するため
ぜひ、よい音楽、よい本(映画・ドラマ)、よい絵(芸術作品)などに
もう一度触れなおしてみるといいのかなと思います。

枕のはなし〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

正月休みも終わり、通常の生活に戻りつつある今日このごろですが
1年365日、毎日何かしらの記念日があるなかで
本日1月6日は『枕の日』なのだそうです。

ちなみに、この『枕』というもの。
そのことばを紐解くと、単なる寝具としての道具だけではない
実に奥深い意味が込められているようです。

実際に「まくら」ということばを紐解いてみると・・・

「まくら」は「ま」と「くら」からなり

「ま」は「真」
すなわち「真実」や「聖なるもの」のこと。

「くら」は「蔵」や「倉」
すなわち「容器」のこと。
(「場所」という意味もあり)

つまり、この2つを合わせると
「真実の容器」もしくは「聖なるところ」
ということになります。

昔は誰でも枕を使っていたわけではなく
巫女や巫男など、神と関わりのある人だけが枕を使っていたようです。

彼らは、彼女らは神を自分に依り憑かせて
神霊のことばを人々に伝える役割をもつ人たちでした。

そして、枕はその『神霊』を入れる容器だったとされているのです。

そう考えると、『寝る』ということは
単に心身を休ませるということではない、もっと何か特別なものの感じがしますよね。

もう少し言えば、寝ている間に見る『夢』や出てくる『ことば』は
(そう、潜在意識からの “メッセージ” は)
今後の自分の道標をしめしてくれるきっかけのひとつ(ヒント)を
与えてくれているのかもしれません。

新年のごあいさつ

あけましておめでとうございます。
2023年が始まりました。

皆様にとって、この2023年が
心身とも健康で幸多き1年となりますことを
心よりお祈り申し上げます。

また、私自身も昨年同様
ご縁のあった方々の、かけがえのないステキな人生のために
全身全霊心を込めて支援する次第です。

本年もよろしくお願いいたします。

ステキなご縁がありますように。


ハートオフィス・あおい
代表  野田 喜敬

  • Category:その他
  • Author:heartoffice-aoi

年末のごあいさつ

この度は弊社のホームページにお越しくださり、誠にありがとうございます。

2022年も残すところきょうを入れて4日となりました。

今年も去年に引き続き、多くのご縁をいただくことができました。
ご用命いただいた方、関わりを持ってくださった方に対し、厚く御礼申し上げます。

どうかよいお年をお過ごしくださいませ。


ハートオフィス・あおい
代表  野田 喜敬

  • Category:その他
  • Author:heartoffice-aoi

「とりあえず○年」の生き方をする〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

早いもので、2022年も残りわずかとなりました。

私自身、今年やり残したことはないか、来年どのように過ごしていくか
自分自身に問いながら過ごしているきょうこのごろです。

また、人によっては
早くも来年の目標や計画をたてているという方もいらっしゃるかもしれませんが
自分自身にとってそれら(目標・手に入れたいものなど)が ”ほんとうに” 重要でない限り
年が明けて少し経つと「無理にやらなくてもいいか」という気持ちになってしまって
ついつい、翌年以降に先延ばししてしまう傾向が強いように思えます。

(そうやって何年も「やらないまま」でいる)


そこで、考え方のひとつとして
ご自身のいまの年齢から区切りのいい年齢まで「生きる」と仮定して
(あたりまえですが、命は永遠ではない)
「とりあえず○年」という生き方をしてみる のも面白いかもしれません。


例えば

いま35歳の方だったら、40歳となる「あと5年」
いま42歳の方だったら、45歳となる「あと3年」

といったように。


自分の ”与えられた時間” を「とりあえず○年」と決めて
どのように生きると(何をすると)自分にとって ”やり残し” や ”悔い” のない
ベストな生き方ができるか、一度考えてみる。


もちろん、○年といった長いスパンではなく
1年、3ヶ月、1ヶ月といった短いスパンでも全然構いません。

(朝起きた時「きょう1日を精一杯生きる」と決めて毎日過ごしていくのもありだと思います)


目標・計画といったものに捉われない
また自分にとって ”ほんとうに” 必要なことだけをする
『自分らしい生き方』提案・・・

年末年始の少し空いた時間にちょっと考えてみるのもいいかもしれませんね。

『カウンセリング』に出会って起きた〔奇跡的な出来事〕(4/4)

みなさま、いつもありがとうございます。

カウンセリングを身近なものに。

私が『カウンセリング』に出会って起きた〔奇跡的な出来事〕
きょうが最終章(第4章)です。


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〔第4章〕奇跡の “再会”、『女神』の存在

(前回(第3章): http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1412 )

さて、話は
『カウンセリング』に “一筋の光” を見い出したころに戻り・・・
(32~33歳のころ)

 『カウンセリング』というものに、そして『カウンセラー』になることに
 自分のこの世で果たすべき役割・使命といったものがあるのではないか・・・
 生きることの意味が見い出せるのではないか・・・


そんな “大きな” 思いを抱いて入った学校。
カウンセリングを教えてくださる先生。これから一緒に学んでいく人たち。
そして、その中のひとりの方の自己紹介を聞いたとき、まさに〔奇跡的な出来事〕が。


私が小学校4年生のとき
そう! 転校し、新しい小学校に馴染めず
まさに “癒しを求めて” 毎日のように眺めていた兄の卒業アルバム。
その中にいた、妙に “ひっかかる” かわいらしい女の子・・・

な・ん・と!

そのかわいらしい女の子がステキな女性として目の前に現れたのです!

もちろん、初対面のときは、そんなこと知る由もなかったのですが
“大人になった” 彼女がおこなった自己紹介(年齢、出身地 etc )・・・
すこし特徴のある漢字を使った名前(卒業アルバムに載っていたのと同じ漢字!)・・・
そして、そのお顔立ちをよくよく見ると、アルバムの彼女の写真の面影が・・・

もう、間違えありません!

私にとってみれば、約23年ぶりの “再会”


それからの日々、私は相変わらず
(〔第1章〕で書いたような)苦悩の日々を過ごしていたわけですが
カウンセリングの勉強を重ね、彼女と共に過ごし、言葉と心を交わすことによって
どれだけ “救われた” か。。。

私にとってまさに『女神』でした。

 ・・・スピリチュアル的な視点で見ると
    まさにこういうのが
『ソウルメイト』と言えるのかも!


そしてまた不思議なことに(私からしてみれば、少し残念なことでもあるのですが)
カウンセリングの勉強を重ね、その奥深い世界に魅了され
カウンセラーになることが自分のこの世で果たすべき役割・使命になると “決意した” のと同時に
少しずつ彼女とのあいだに距離感が生まれ、次第に会うこともになくなってしまいました。


いま思えば、それまでの苦悩の日々
遠くから差し込んだ “一筋の光” は
この世で果たすべき役割(=自分に課せられた使命)を果たそうと
自分自身に対し、真摯に・誠実に・正直に向き合ったことへの “ごほうび” だったのかもしれません。


ちなみに、私にとって『女神』であるその彼女は
いまも、私の幼きころの思い出がいっぱいつまったその場所で穏やかに暮らしているらしく。。。


めでたし、めでたし(なのかな?)


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 (『カウンセリング』に出会って起きた〔奇跡的な出来事〕:過去掲載分)
 http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1408 〔プロローグ〕
 http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1410 〔第1章〕
 http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1411 〔第2章〕

『カウンセリング』に出会って起きた〔奇跡的な出来事〕(3/4)

みなさま、いつもありがとうございます。

カウンセリングを身近なものに。

私が『カウンセリング』というものに出会って起きた〔奇跡的な出来事〕
きょうが第3章(全4章)です。


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〔第3章:生まれて初めて重たい〔悩み〕を持ったとき “心の支え” になったもの〕

(前回(第2章): http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1411 )

少し話は変わり、私が生まれて初めて〔悩み〕を強く認識したのは
(出口が見えないというか、重くのしかかるような感覚を初めて味わったのは)
小学校4年生になったときのことでした。

それまで毎日楽しく過ごしていた小学校から、4年生になった春、親の転勤により転校。
転校のショックもさることながら、とにかく、新しい学校に馴染めなかったのです。

いま思えば、それまでが「良すぎた」というか
視野が狭かったというか、「調子に乗っていた」ところがあったかもしれませんが
いずれにしろ、夏休みを迎えるくらいまでの2、3ヶ月のあいだ
(まだ幼かった私にとって)長く、重たい日々が続いたのです。


その長くて重たい日々の中、私の “心の支え” になったのが
3歳上の兄がもらってきた小学校の『卒業アルバム』

兄からしてみれば、小学校卒業と同時に引っ越したことになるため
その卒業アルバムは、私がそれまで通っていた小学校の『思い出』にもなったわけです。


卒業アルバムは私を癒してくれました。

当然、兄の卒業アルバムなので
各クラスに載っている人たちの顔や名前は全くと言っていいほど知らないわけですが
アルバムの最初にある校舎の写真や運動会などのイベント写真は
楽しかった日々の思い出に浸らせてくれるものでした。


そして、その繰り返し眺めていた卒業アルバムに
妙に “ひっかかる子” がいるのに気づくようになりました。

ごくふつうのかわいらしい女の子なのですが
妙に見とれてしまうというか、とにかく “気になる” “ひっかかる” のです。
  ←かといって『一目ぼれ』とか『好きになった』という感覚でもなく
   自分でもほんとうによく分からない・・・


やがて卒業アルバムを見る目的も、前の小学校の楽しい日々を思い出すというよりは
その “ひっかかる子” を見たいがためにアルバムを見るようになったような・・・


そんな兄の卒業アルバム。。。

新しい小学校の生活に慣れ、遊ぶ友達もでき、そこで少しずつ成長するにつれ
(兄の卒業アルバムを)見ることも懐かしむこともなくなり
妙に “ひっかかる子” の存在もすっかり忘れてしまっていたのですが・・・


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 (『カウンセリング』に出会って起きた〔奇跡的な出来事〕:過去掲載分)
 http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1408 〔プロローグ〕
 http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1410 〔第1章〕

『カウンセリング』に出会って起きた〔奇跡的な出来事〕(2/4)

みなさま、いつもありがとうございます。

カウンセリングを身近なものに。

私が『カウンセリング』というものに出会って起きた〔奇跡的な出来事〕
きょうが第2章(全4章)です。


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〔第2章:遠くに差し込む “一筋の光”、それに向かって歩いた先には・・・〕

(前回(第1章): http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1410 )

このまま仕事を続けていくことへの “無意味” さ・・・
過去、 “挑戦しなかった” “やり残した” ことによる未練や後悔・・・
様々なこと・些細なことで傷ついてしまう繊細さ・・・
『自分探し』や『居場所探し』を繰り返す日々・・・

社会人になって2,3年目のころから
もがき続けること約8年。。。(長っ!)


とにかく

「このまま年齢を重ねて生きていったとしてもどこかで必ず後悔する」
「安定した会社で半分 “妥協して” 働いて生きていったとしても、何も残らない」
「とにかく、いまの自分を変えなければ」「生き方を “修正” しなければ」


という思いでいっぱいだったので
いままで生きてきた人生の振り返りを自分なりに行い
(何歳の時にどんな思い出があるか/どんなことに興味があるか/自分の得意なものは何か など)
何回も何回も自問自答を繰り返す中、ふと
『カウンセリング』というキーワードが自分の中に “降りてきた”  のです。
  ←自分の心の中に残っているいい記憶・心地よい記憶のひとつに
   大学生のときしていたアルバイト(河合塾の『チューター』)があり
   自分の経験を人に伝えるような、何か物事を分かりやすく伝えるようなことをしたいと。
   そんな思いが『カウンセリング』というキーワードを引き寄せたのか・・・?


それはまさに、鬱蒼とした森の中をさまよい続けて歩くその先に差し込む “一筋の光” のようでした。


「この『カウンセリング』というものに、自分の生きる意味を見い出せるのではないか・・・」

そんな希望を持ち、カウンセリングを学べる学校を探すことにしました。
  ←そのころはまだ「カウンセラーになろう」という思いは小さく
   「遠くに差し込む “一筋の光” に向かって進んでいこう」という思い  
 


そして見つけたとある学校・・・

大きな “思い” を抱いて学校を訪れ
カウンセリングを教えてくださる先生方や、これから一緒に学んでいく人たちと対面し
その中のあるひとりの方の自己紹介を聞いたとき
その〔奇跡的な出来事〕に遭遇したのです。


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 (『カウンセリング』に出会って起きた〔奇跡的な出来事〕:過去掲載分)
 http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1408 〔プロローグ〕

『カウンセリング』に出会って起きた〔奇跡的な出来事〕(プロローグ)

みなさま、いつもありがとうございます。

カウンセリングを身近なものに。

こんな場所で、改めて宣言するのもなんですが
私は一生『カウンセラー』であり続けようと思います。

それが私のこの世での課せられた使命であり、果たすべき役割と考えているからです。

なぜ、そう考えるになったのか・・・それは
『カウンセリング』というものに出会ったことによって
自分の人生が大きく開けたのはいうまでもなく
他の人ではなかなか味わうことのない〔奇跡的な出来事〕に遭遇したからです。

その〔奇跡的な出来事〕は、いまでも私の『心の支え』になっているわけですが、裏を返すと
この世で果たすべき役割・生きる意味を追求し続け、自分なりの答えを見つけ出した ことが
その〔奇跡的な出来事〕を引き起こしたといっても過言でないかもしれません。

 ・・・誤解のないように申し上げますと
    『カウンセリング』そのものに〔奇跡的な出来事〕を引き寄せる力があるわけではありません。
    (あたりまえですよね)
    ただ、もし、みなさまが自身の今後の人生を大きく開かせようとするのであれば
    『カウンセリング』によって自身のこの世の役割・生きる意味を追求することこそが
    最良の手段であると私は考えています。


(また、当然、カウンセラーとしての “純度” を高めるため、いまもその意味を追求し続けているわけですが)


さて、そんな私の身に起きた〔奇跡的な出来事〕とはいったい何でしょうか?

来週(20~23日)、4回にわたって書いていこうと思います。