ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

眠れぬ夜に〔♯16〕『通勤する』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯16〕

『通勤する(つうきんする)』とは・・・
『時間を有効に使うこと』である。



〔解釈とヒント〕

都会の電車通勤は地獄です。

またマイカー通勤にしても、ノロノロだったり
危険な運転をする人もいて、ストレスが溜まります。

その一方で、通勤時間は『自分(だけ)の時間』という見方もできます。

職場や学校などでは、もう自由にしていられないし
家にいる時間も、朝はあれこれ忙しいし
夜もあれこれしている間に、すぐに寝る時間になってしまいますよね。

そんな忙しい毎日を送る人にとってみれば
そのような見方(『通勤時間』を『自分の時間』とみる)が特に必要なのかもしれません。


このように、物事全体に対する一部の者の見方を変えることを
『構造主義』という言い方をするのですが
先ほどの例をもう少し詳しく書いてみると・・・

 『1日という時間を全体構造で見たとき
  通勤時間は、地獄の時間であるその一方で
  唯一プライベートを確保できる時間という見方もできる』


ということになります。

そのため、電車の中では
自己啓発に励む人、好きな音楽を楽しみ人
読書にふける人、睡眠を補う人がいるわけですし

また、マイカー通勤にしても
仕事場に向かう時であれば、その日に行われる会議のシミュレーションを頭の中でしてみたり
仕事場から家に帰る時であれば、気分にあった音楽をかけたり、“クールダウン” してみたり・・・

そういった意味では、よくある『ポジティブシンキング』というのも
この構造主義に似たようなところがあるかもしれません。


ついでに! というわけではないですが
ちょっとここで “計算” してみましょうか。。

もし仮に、片道1時間かけて通勤したとすると・・・

1年(240日出勤)で480時間 → 20日間に相当

それを、40年間がんばって続けたとすると・・・

20〔日間〕×40〔回〕=800〔日間〕 → 2年2ヶ月ちょっとに相当

つまり、一生のうち通勤にかけている時間は、2年2ヶ月ちょっとにもなるわけです。
これはもう、有効活用するしかないですよね。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)
 

『 Mr.ブルー ~私の地球~ 』という歌より

みなさま、いつもありがとうございます。

私の好きな歌に、八神純子さんの『 Mr.ブルー ~私の地球~ 』という歌があります。

https://www.youtube.com/watch?v=zeB0xnlRxmI
(Mr.ブルー ~私の地球~ / 八神純子HD(パノラマ太陽系ED風))

1980年に発売された古い曲ですが
私がこの歌の存在を知ったのは、それから20年後の2000年。

連日連夜、遅くまで続く慣れない仕事。無機質な毎日。
「これから一生こんな生活がずっと続くのだろうか」と
ため息交じりに真っ暗な夜道を走らせる車の中
なにげなくかけていたラジオの中からこの曲が流れてきました。

ちょうどこの曲が終わったころ、会社の寮の駐車場に到着。
空を見上げると、見事なまでのまんまるのお月さま。

乾いていた自分の心に、すっとしみ込んでいきました。


そして来年は2020年。
歌が発売されて40年がたとうとしています。

歌詞にある『故郷(=地球)』を傷つけるようなことをしていないだろうか
はたまた『争い』ごとをしていないだろうかちょっと自分を振り返ってみて
これからも自分なりに強く、やさしく、しなやかに、穏やかに過ごしていこうと思います。

『念』という漢字が教えてくれるもの〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

前回の続き(※)というわけではないですが
きょうは、『念』という漢字に着目して。。

『今の心』と書く『念』という漢字。

こころの状態は『息』に反映されてからだに現れてくるのと同様
自らのこころもまた、からだの健康状態に大きく影響を及ぼすものと思います。

そう。『念』とは、自らのこころ(気持ちや思い) のこと。

つまり、どんな気持ちや思いで過ごすことがからだの健康にいいのか
この一文字を通じて教えてくれていることになります。


詩人である坂村真民さんの詩をふたつ、ここで紹介したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 『今』

 大切なのは
 かつてでもなく
 これからでもない
 一呼吸
 一呼吸の
 今である


 『今を生きる』

 咲くも無心
 散るも無心
 花は咲かず
 今を生きる


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

未来のことを思い煩ったり、過去のことを後悔しても
正直、あまり意味はないですよね。

それよりも大切なのは
今、目の前にいる人を大切にし、今、目の前にいることを大切にする ということ。

今、このときを大切に生きるということの延長が未来を創り
また、過去の体験をもよい記憶に創り替えていくのだと思います。

そう。今のこころがからだを動かし、健康や環境を創り出すように
今を明るく生きることで、過去も未来も照らされていく―――

『念』をいう字は、そういった “自然の摂理” を教えてくれる漢字のひとつと言えそうです。


 (※)『息』という漢字が教えてくれるもの〔コラム〕
 http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/725

『息』という漢字が教えてくれるもの〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

普段気にも留めず必ず “している” もの・・・

それは『息』

その『息』という漢字について、ちょっと書いてみようと思います。

『息』という漢字が『自らの心』と書くことからもわかるように
自分のこころの状態が『息』に反映されますし
『息』の状態もまたこころに反映していることになります。

つまり、リラックスしているときや楽しく心穏やかなときは
深く、ゆっくりとした呼吸をしますが
逆に仕事に追われたり、ストレスを感じているときは
浅くて速い呼吸になりますよね。

そんなとき、大きく深呼吸すると
気持ちも少しずつ落ち着いてくるわけですが
それは「呼吸がこころに働きかけている」という見方もできると思います。


また『呼吸』は、字の通り
「吐いてから吸う」もの。

これから生命の活動をし始める赤ちゃんは
「オギャー」と泣いて(息を吐いて)生まれてきますし
人が亡くなるときは、「息を引き取る(一息吸う)」という言い方をしますよね。

そういった “自然の摂理” からも言えるように
深呼吸は、「吐いてから吸う」方が理にかなっているようです。


これから寒い日々がやってくるわけですが
その分、余分なチリや埃が舞わず、より澄んだ空気で呼吸することになります。

深呼吸する場面・回数を増やすとともに
自身のこころを意識して呼吸を整えていくというのも、とても大切なことだと思います。

「自分を知る」ための問い〔♯47〕

みなさま、いつもありがとうございます。

「自分を知る」ための問い〔♯47〕

会うと元気をくれる人、もしくは
リラックスさせてくれる人の共通点は何ですか?



~答えを導き出すヒント~

毎日同じように過ごしているつもりでも
ちょっと元気がなかったり、逆にイライラ・セカセカしてしまったり・・・

だけど、そんな元気のなさやイライラ・セカセカした気持ちが
ある人と会って話をするうちに、いつのまにか消えてしまっていたという経験をされた方も
結構いらっしゃるのではないでしょうか。

そのような、自分に元気を与えてくれるような人、リラックスさせてくれるような人に
どのような特徴があるのか、また、なぜ自分がその人と会ったときに
そうなる(元気になる/リラックスできる)のか一度考えてみると
自分に何が必要なのか(何が足りていないのか)見えてくるような気がします。


自分の身の回りにいる、元気を与えてくれるような人、リラックスさせてくれるような人・・・

すぐに思いつく人がいれば問題ないですが、「1人も思いつかない」としたら
普段の生活において、必要以上に『警戒心』を持って過ごしていらっしゃるのかもしれません。
(『自信がない』ことの裏返しであるかも)


一方で、自分が周りの人に対して
元気を与えられるような存在であるか、もしくは、リラックスさせられるような存在であるか
時間のあるとき、ご自身の言動や行動、人に接するときどんな態度をとっているか
いま一度振り返ってみるのもいいかもしれませんね。

もし仮に、相手が必要以上に(自分を)警戒しているような態度をとっていたとしたら
気づかないところで威圧的な態度をとってしまっている可能性があります。

自身のおかれている状況がどんな状況であれ
人と接するときは、やはり『笑顔』を心掛けたいものですね。

『こころのケア:統合医療セミナー』ご案内(2019/12/8 @名古屋)

みなさま、いつもありがとうございます。

当方が企画・設立に携わった一般社団法人『家族と心の研究所』と提携関係にある
統合医療『クリニック徳』の高橋徳先生主催によるセミナー
『第6回こころのケア:統合医療セミナー』が開催されます。

「統合医療」とは、西洋医学と東洋医学の長所を取り入れ、お互いの短所を補い合う医療のことです。

「こころのケア:統合医療セミナー」では、医師・カウンセラー・ヨーガ療法士・気功療法師、鍼灸師などが協力して、メンタルケアに当たります。
この国の心の病いの臨床を変革していくための、新しい試みです。

薬物治療のみに依存してしまっている現在の医療に不安を感じている方に、ご参加いただければと思っています。
また、みなさん一人ひとりが医師や薬頼みにせず、セルフケアの意識を持ち、薬漬け医療から脱却していただければと願っています。
スタッフが個々の方々に密接に向かい合うため、少人数制(定員10名)とさせていただきました。
定員になり次第、申し込み受付けを終了させて頂きます。


    ~ 記 ~

日時:2019年12月8日(日)
   10時~12時 座学・うつ病患者の体験談・気功
   13時~18時 ヨーガセラピー・マインドフルネス瞑想
           腹式呼吸・運動・散歩・フォローアップ
           セルフケアの指導/カウンセリング/鍼治療(希望者)
   18時~20時 懇親会(希望者)

場所:クリニック徳 http://clinic-toku.com/
   (名古屋市中区栄2-10-19 名古屋商工会議所ビル11階)
   (地下鉄伏見駅5番出口徒歩5分)

定員:10名

料金:8500円(税込)

お問い合わせ・申し込み:クリニック徳
            Tel 052-221-8881
            fax 052-221-8882
            kenkodojoclinic@gmail.com
            http://www.formpro.jp/form.php?fid=59410

アドラーの目的論②:「大声を出すために怒る」とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

前回のテーマ( http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/720 )に引き続き
心理学者アドラーの推奨した『目的論』について
(『原因論』との違いについて)
ひとつ、例を挙げて紹介したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

レストランで、客の男性がウェイターにコーヒーをこぼされ、一張羅の背広を汚された
男性は反射的に大声を出し、店中に響き渡るようにウェイターを怒鳴りつけた


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この場合、一般的には
「コーヒーをこぼされて怒りを感じたから大声をだした」
(大声を出した『原因』は、コーヒーをこぼされ怒りを感じたから)
と考えがちなのですが

アドラー心理学では
「大声を出すために怒った」
(大声を出したのには、他ならぬ『目的』があるため)
と考えます。


上の例でいうと

「ウェイターに謝らせたい」
「自分が客(上の立場)であることを誇示したい」
「クリーニング代を支払わせたい」

といった『目的』があるから大声を出した。ということになります。


もちろん、この例だと
『コーヒーをこぼされたこと』と『大声を出したこと』との間に
ほとんどタイムラグがないので
コーヒーをこぼされたことによる怒りが大声を出した原因と考えがちですが
もし仮に、美人のウェイトレスにコーヒーをこぼされたとしたら
男性はどんな対応をとっていたでしょうか?

瞬時に自分の取るべき行動を判断して
「あ、大丈夫です。気にしなくていいですよ」
と笑顔で答えていたかもしれませんよね。

(この場合、ウェイトレスに「寛大な人間であるというところを見せたい」という『目的』がある)


そのほかにも
「過去自分にこんなつらいことがあった」というのは
「相手の同情を引く」という目的を叶えるための手段のひとつと考えることもできますし
「不安なので○○できない」というのは
「○○したくないので不安を創り出している」というように考えることができます。


もちろん、当の本人にとってみれば
(問題や悩みを抱えて)大変苦しい思いをしているわけですが

「起きた出来事に対してどう捉えるかは自分次第」
「いまの自分は、自分が選んで創り出している」


という感覚(自覚)が少しでも持てるようになれば
きのう、きょうと紹介したアドラーの『目的論』を応用することによって
さまざまな悩み・問題を解決できる可能性があるかもしれません。

(とはいえ、それを習得するにはかなり修業が必要ですけどね)

アドラーの目的論①:『原因探し』って、結構いい加減

みなさま、いつもありがとうございます。

何か問題や悩み・病気などを抱えているとき
その箇所や原因を見つけ出して、対処したり除去することを考えますよね。
(病気になってしまったのなら当然そうするべきですが)

しかしながら、心理学者アルフレッド・アドラーが
「起きた出来事に対してどう捉えるかは自分次第だよ」
という『目的論』を推奨するように、生じてしまった問題や悩みに対して
「いまの悩み(問題)があるのは、このことが元になっているからだ」と
その原因を探して決めつけてしまうのは、かえってよくなかったりします。


なぜ『原因探し』が必ずしもよくないのか・・・

タイトルにある
「『原因探し』って、結構いい加減」の例をひとつ挙げてみると・・・


よくある「人を好きになる」

なぜその人を好きになったのか、いろいろ考えていくと・・・
(原因を追究していくと)

・優しくて意見を聞いてくれる
・頼りがいがある
・几帳面でしっかりしている  など


今度は反対に「人を嫌いになる」

なぜその人を嫌いになったのか、いろいろ考えていくと・・・
(原因を追究していくと)

・自分の意見がなくて優柔不断
・支配的
・細かいことにこだわりすぎる  など


そう。

すでに気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが
『原因を探す』という行為は、自分にとって
『都合のいい捉え方(解釈)をする』ための手段に過ぎなかったりします。
(同じように「評価」というのも、自分にとって都合のいいものにしてしまいがち)

上の例でいうと

   〔好きな理由〕         〔嫌いな理由〕
「優しくて意見を聞いてくれる」=「自分の意見がなくて優柔不断」
「頼りがいがある」      =「支配的」
「几帳面でしっかりしている」 =「細かいことにこだわりすぎる」

の関係。
(解釈の仕方で好きにもなるし嫌いにもなる)


このことをアドラーの『目的論』にあてはめると

「この人との関係を続ける」という目的のために、その原因となる『好きなところ』を見つける。
(肯定的な評価をする)

「この人との関係を断つ」という目的のために、その原因となる『嫌いなところ』を見つける。
(否定的な評価をする)

ということになります。


よくある「結婚したいけど、出会いがない」

『出会いがない』のは事実かもしれないけど
本当は「いまの生活スタイルを変えたくない」とか
「出会いを求めるのがめんどくさい」「見ず知らずの異性と話をするのがすごく疲れる」という
“本音” が隠されていることが多かったりしますよね。

(「お金がない」という理由(言い訳)も、上と同じような感覚としてあると思います)


ただ、あまりにも
「原因探しはダメ」「言い訳はダメ」と自分を縛り付けてしまうと
それはそれで苦しくなってしまうので、自分なりの上手な “さじ加減” が必要となってきそうです。

眠れぬ夜に〔♯15〕『健康』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯15〕

『健康(けんこう)』とは・・・
『仕事の能力』である。



〔解釈とヒント〕

ところでみなさま、現在の身体の状態はいかがでしょうか?
健康ですか? それとも・・・?

いずれにしろ、病気にまではならないにしても
身体の調子が悪かったり、疲れていたりすることによって
仕事などのパフォーマンスが下がったり、やる気が出なかったり
かえってなかなか寝付けなかったりするという経験は、一度はされたことがあると思います。

健康であってこそいい仕事ができるわけですからね。


フランスの哲学者に、メルロ・ポンディ(1908-1961)という人がいるのですが
彼は身体の大切さについて哲学的に考察をした初めての人物と言われています。

そんな彼が『身体』というものを

「私たちが物を見たり、触ったりして外の世界を知覚するのは
 すべて自分たちの身体を通じて行われている」

と表現したわけですが
(「そんなもん、あたりまえじゃん」と言われてしまうのでもう少し踏み込んで書くと)

身体こそが私たちの世界や心を作っている =(身体は)外の世界と自分とをつなぐ唯一の手段

つまり、身体というものが単に『自分の身体』という枠を超えて
世界と自分とをつなぐ『媒体物』として定義したことです。

そうなると、身体が病んでいては、まともに社会につながることはできないですよね。

仕事ができなくなるのはもちろんのこと
他者とのコミュニケーションもうまくいくはずがないと思います。


もっとも、ここでいう『健康』とは
「病気をしない」ということだけではなく、「身体能力が高い」ということも含まれてくるわけですが。

(どれだけよく “動けるか” が仕事にとって大事な要素となるので)


そしてもうひとつ、忘れてならないのが『こころの健康』

文頭の冒頭に「疲れているとやる気が出なくなる」といったように
身体と心はつながっていることをちゃんと知っておく必要があると思います。

(やる気がなくなって “うつ” になってしまったら、どうしようもないですからね)

人間が社会生活を営む限り、身体はそのための “インターフェイス”
常日頃からかなり意識をして身体をいたわる必要がありそうです。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)

すべては健全な体があってこそ〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

つい先日まで国中を虜にしたラグビーワールドカップや、野球のWBCプレミア12の陰に隠れ
ひっそりと始まった感のある令和元年大相撲九州場所。

その大相撲(相撲)に限らず、武士道において
よく『心・技・体』という言葉を耳にするわけですが、この言葉・・・

柔道の父と称せられる嘉納治五郎氏が
その柔術独学書の中で述べたのが始まりとされ、改めて書いてみると

①『心』=精神の修養
②『技』=勝負師の鍛錬
③『体』=体の発育・健康維持


ということになります。

この順番だと、『心』が一番大事なような感じがしますが
私のイメージは、ピラミッド構造。

つまり、『体』が一番土台にあって、次に『技』、一番上のあるのが『心』
(登山のように、上に行けば行くほど習得するのが大変)

どんな人でも、『心』を変えることはすごく難しい。
だけど、健全な体は、少しの努力で手に入れることができると思うのです。

寝る時間、起きる時間を一定にしたり
食事の栄養バランスを少し意識して見直してみたり
1日5分でもいいからストレッチやウォーキングなどをしてみたり・・・

そう! 強い『心』は、健全な『体』があってこそ。

これからのシーズン。
おいしいものを食べたり飲んだりする機会も増えると思いますが
やはり、ほどほどにした方がいいような気がします。