ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

“ちゃらんぽらん” できる幸せ

みなさま、いつもありがとうございます。

「いい加減な行動をとったり、いい加減なことを言う」ことを意味する
『ちゃらんぽらん』という言葉。

実はペルシャ語にも、ほぼ同じ発音の言葉があり(発音は「charand-parand」)
意味は、これもほぼ日本語と同じ「いい加減なことを言う」ことの他に
「街を(用もなく)歩き回る」という意味があるそうです。

 ・・・つまり、イランで道を尋ねると、“自信をもって” 違った道を教える人が多く
    その結果、いつまでも目的地にたどり着けず街をさまよい歩くさまと
    街を用もなく歩き回るさまが同じ体(てい)として捉えられたとも。。。



全国各地で不要不急の外出自粛が要請されていて
「きょうは天気がいいから、ちょっとフラッと街散歩にでかけようか」
そんなことすら難しくなってしまった今日。

“ちゃらんぽらん” できる幸せ。

早くその日常が戻りますように。

追悼:志村けんさん(その2)

みなさま、いつもありがとうございます。

きのうの夜、志村けんさんの追悼番組を観ました。

追悼番組とは思えない “おもしろさ”

まるで『ドリフ大爆笑』の『もしもシリーズ』
『もしも志村けんが死んだなら』という架空のコントを見ているようでした。

番組を見て、私がもっとも印象に残ったのは
最後に、高木ブーさんが力強く言った
「志村は死なないの!」というセリフ。

まさにその通りだと思います。


不要不急の外出自粛による運動不足やストレスによって
日本人全体の免疫力が、少し落ちているかもしれません。

免疫力をあげるのに一番いいのは、志村けんさんの『笑い』

だからね、志村さん。
もうしばらくの間、日本のみなさんに力を貸していただきたくて。

いまの時代、YoutubeやDVDなどで気軽に “会いに行ける” 時代。

私もたまに会いに行きます。

第一印象と “食わず嫌い”〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

今週から新しい朝の連続テレビ小説『エール』が始まりました。

ドラマのロケ地が私の出身地である豊橋(と福島の2ヶ所)であること
窪田正孝くん、二階堂ふみちゃんとステキな俳優さんがご出演されていることもあって
個人的にものすごく注目しているドラマです。

さて、その第1話(3月30日の月曜日)

原始人からのスタートだったり、えらくポップな字幕がついていたり
フラッシュボブダンスがあったりと、いままでにない “斬新な” 始まり方。

その反応もさまざまで

「すごくインパクトがあった。なかなか面白そう」
「演技力のある2人に注目」「窪田くんのダンス、めちゃうまい!」

と好意的な意見もある一方

「ちょっと今回はパス」
「70代の母が呆気にとられていた」

なんて否定的な意見も。。。


ドラマや音楽だけでなく、日常の身近なもの(特に人間関係など)において
最初の印象(第一印象)がよくないと、そのまま “離れてしまう” わけですが
何回かそれらのものに接していくうちに、だんだんその良さ(味)が分かってきて
のちの自分に多大なる影響を与えてくれるということも、よくあったりです。

みなさんの普段の生活の中で、“食わず嫌い” のままになっているもの・・・何かないですか?
もう一度その味を確かめてみるというのも、いいかもしれませんね。

追悼:志村けんさん

みなさま、いつもありがとうございます。

人が笑うことや自然に触れることによって増える免疫細胞『NK細胞』
( NK = Natural Killer(ナチュラル・キラー))

その細胞は、人が体内ではたらかせている免疫システムの中でも特に重要な役割を示し
病原菌やウイルス感染、さらには、細胞の悪性化などで体内に異常な細胞が発生すると
いち早く(『免疫チーム』の中から先行して)攻撃を仕掛け、死滅させてくれるという・・・

昼も夜も、起きている間も寝ている間もくまなく働き
1日3000~5000個も発生すると言われているがん細胞を
一つひとつやっつけてくれるのも、この『NK細胞』のおかげ。

その『NK細胞』を増やすために、必要な『笑い』

どれほどまでに日本人の免疫力向上に貢献していただいただろうか・・・

『日本の宝』志村けんさん、安らかに。

いまこそ生活に『祈り』を〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

得体のしれないものに対する不安
目に見えない不安
いままで体験したことのない不安
生活や命が脅かされる不安
先の見えない不安 etc…

数多くの不安を抱えた状況において、また
自分たちの力ではどうすることもできないような状況において
私たち人類が昔からしてきたことがあります。

それは『祈ること』

歴史を紐解くと、テレビやネットはおろか
電気・ガス・水道… はたまた、通貨や貨幣すらない時代から
(それこそ1000年、2000年以上前から)
人々は生活の中で『祈り』をささげてきました。

『祈り』とは、自分の内なる部分や(神様・仏様といった)“心のよりどころ” に
家族や大切な人、社会や世の中の平穏無事を願うだけでなく
自身の心と体の安寧をはかるためにおこなった行為のひとつです。
(つい100年位前まで、いつ争いごとにまきこまれるか、いつ天候不順で食べるものがなくなって餓死するか、常に『生命の危機』を抱えて過ごしてきた)

争いごとや飢え死にすることもなくなり、生活が圧倒的に便利・快適になった現代において
仕事や人間関係といった日常のストレスは、レジャーや “キラキラしたもの” など
いわば『外部刺激』によって発散・解消していればよかったわけですが
自然災害や今回の新型コロナウイルスの感染拡大等、日常生活さえままならない事態になると
『外部刺激』に頼ることはまったくといっていいほどできなくなってしまい
結局のところ、自分の内なる部分を見つめなおしたり、“心のよりどころ” にお祈りするほかないように思えるのです。
(現実逃避すらできないような現実をちゃんと受け入れ、しっかり腹に落とし込める必要があるというか・・・)

そのため、できるだけ多くの方々が『祈ること』の大切さに気付くことを願うとともに
今回の “有事” がいち早く収束の方向に向かうことを切に祈りたいと思います。

「自分を知る」ための問い〔♯51〕

みなさま、いつもありがとうございます。

「自分を知る」ための問い〔♯51〕

今までにした大きな〔決断/選択〕は何ですか?


~答えを導き出すヒント~

もうすぐ新年度。新しい生活をスタートさせるという方も多いわけですが
夢や希望・目標に満ち溢れている人がいる一方で
不安や怖さみたいなものが先立っているという方も、数多くいらっしゃるのではないでしょうか。

いずれにしろ、新しい生活が始まるのは
みなさんがそのように〔決断/選択〕したからこそ。
(新入生・新社会人など、人生の中で(否が応でも)そういった時期は来ますよね)

そのため、みなさんが人生の中で、過去
今までにした大きな〔決断/選択〕を一度振り返ってみるのもいいかと思います。

例えば、○○について
 ・なぜ、そのように〔決断/選択〕したのでしょうか?
 ・〔決断/選択〕するときに参考にしたものは何でしたか?
 ・自分がした〔決断/選択〕に点数をつけるとしたら、何点ですか?
 ・その〔決断/選択〕について、反省点・改善点があったとしたら、それはどこですか?
など

質問では “大きな〔決断/選択〕” としましたが
結局のところ、人生は〔決断/選択〕の連続・・・

どの学校(高校・大学・専門学校 etc… )に行き、何を生業とし
誰と結婚するかといった、それこそ人生を左右する大きなことから
朝、何時に起き、何を食べ、どんな服を着るかといった、日常の小さなことまで。

今、みなさんがその瞬間瞬間で決めている〔決断/選択〕も
いつか振り返るときがあった際「決して間違いではなかった・・・」
そう思えるよう、毎日を一つひとつ丁寧に過ごしていく必要がありそうです。

もちろん、文章を書いているこの私自身も。

3種類の幸せ(3/3)~幸せとは、輪のように巡りくるもの~

みなさま、いつもありがとうございます。

一昨日よりお送りしているテーマ(※)
日本文学研究者のロバート・キャンベルさんが思い浮かべる3種類の『幸せ』とは・・・
(引用:『JAF MATE(2020年4月号)』内のエッセイ『幸せってなんだろう』)

きょうが最後です。


③ 危機回避後の『安堵型』幸せ

迫る危機を辛くも回避できたときに感じる、①で紹介した『零れ幸い』の逆パターン。

落ちてきそうな不幸の種を上手にかわし、事なきを得たときの状況を言う。

家賃支払いの期日より2日前、たまたまATMに寄って貯金残高を確かめてみると
ほぼ底をついている・・・

まずい。家賃が落ちない。どうしよう。。。と
一晩気をもんで明くる朝に再度愛称番号を打ち込むと、忘れていたバイト代が振り込まれている。

ホッとして吸う空気までおいしく、「ああ、よかった」と。

安堵型の幸せは日本人の長い歴史の中で重要なものとされてきた。

一例は、幕末に福井城下で妻と子と3人でつつましく暮らしていた歌人
橘曙覧(たちばなあけみ)の一首

 たのしみは あき米櫃に米いでき 今一月は よしといふとき (『独楽吟』より)

残高が0(ゼロ)のATM状態から見直して「よし」
「1ヶ月は何とか安泰だぞ」という喜びの表情に満ちた歌である。

憂いは喜びに転じ、しかしまた憂いに戻ってしまうかもしれないという
メビウスの輪にも似た日本人特有の『苦楽感』が表れており
数多くの文学作品にもこの安堵型の幸せが登場する。

 「得体の知れない不吉な塊」に心を圧(おさ)えつけられた私であったが
 果物屋でレモンを握った瞬に不安が弛み、歩きながら「私は街の上で非常に幸福であった」

 (梶井基次郎『檸檬』より)

日本人の幸せは往々にして巡りくるもので
影の深いところから明るい方へと向かっていくのである。


 (※)『3種類の幸せ ~幸せとは、輪のように巡りくるもの~ 』過去掲載分
    http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/793
    http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/794

3種類の幸せ(2/3)~幸せとは、輪のように巡りくるもの~

みなさま、いつもありがとうございます。

昨日よりお送りしているテーマ(※)
日本文学研究者のロバート・キャンベルさんが思い浮かべる3種類の『幸せ』とは・・・
(参照:『JAF MATE(2020年4月号)』内のエッセイ『幸せってなんだろう』)

きょうが2つめです。


② 目標達成型の幸せ

人生の途中で設定し、努力を積み重ねた結果
その成果が実り、報いられたという『満足感』

例えば

・つらい受験勉強の末、第一志望の学校に合格したこと
・長い月日を経て、望んだ相手との結婚が叶ったこと
・事業が軌道に乗ってようやく自社ビルを建てられたこと

など、どちらかといえば長い時間を要する人生のターニングポイントにおきた成果の表れ。

“投資回収型の幸せ” という言い方も。


 (※)『3種類の幸せ ~幸せとは、輪のように巡りくるもの~ 』過去掲載分
    http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/793

3種類の幸せ(1/3)~幸せとは、輪のように巡りくるもの~

みなさま、いつもありがとうございます。

JAF会員に月1回届けられる会報誌『JAF MATE』のコンテンツの中に
『幸せってなんだろう』というエッセイがあり、各界の著名な方が文筆されているわけですが
今回(2020年4月号)文筆された日本文学研究者のロバート・キャンベルさんの内容に
とても共感を覚えたのでそれを紹介したいと思います。

キャンベルさんいわく、『幸せ』について3種類思い浮かべるとのこと。


① 零れ幸い(棚からぼたもち)型の幸せ

予期しないし、与えられるのに十分な努力をしているとは言い切れないが故
それがかえって一瞬のうれしさを倍増させてくれる、いわゆる『棚からぼたもち』型の幸せ。

とはいえ、高いところから甘い固形物がズドンと落ちるというものではなく
“幸せの液粒” がぽたぽたと『零(こぼ)れる』ような幸せ。。。

英語で『零れる( = spill overflow )』といえば
コーヒーや涙など、本来零れてほしくないものが目に浮かび、あまりうれしくないのだが
日本語の『零れる笑み』や『零れ桜』などと聞くと、むしろ一瞬の柔らかな心地よい風情が頭をよぎる。

安い居酒屋に入ったとする。
何気なく注文した酒の肴が意外に美味しいことに気づき、ハッとする・・・

まさに『零れ幸い』


(残りの2つは、あす、あさって書いていきます)

カウンセリングの基本的考え(2/2)

みなさま、いつもありがとうございます。

前回の続き、クライエントさん自身の気づき・成長の援助をするため
私たちカウンセラーは ある前提条件 をもって皆様に関わり、支援していくわけですが
その前提条件とはどういったものでしょうか。
(前回URL: http://www.heartoffice-aoi.com.index.php/news/archives/790


② 答えはその人自身が持っている

上に述べた前提条件・・・
「どうしたらいいのか分からないからお願いしにきてるのに、どうして?」と思われるかもしれませんし
説明するのも少し難しいのですが、自分なりにわかりやすく書いてみると・・・

セッションにおいて私たちカウンセラーは、当然のことクライエントさんの話される内容について
丁寧に耳を傾けているわけですが、その際、話の内容だけでなく身体の動きにも着目してみるようにしています。

例えば

・目の動き(視線の方向、まばたきの回数、どのくらい目と目が合うか)
・手の動き(頭や顔を掻く、指を机をたたく)
・呼吸(深いため息、憤りに満ちた鼻息、浅い呼吸)
・姿勢(肩が落ち込んでいる、背中が丸まっている、前のめり)
・それ以外のしぐさやその人の持っているであろうクセ、性格傾向

など・・・

端的に言えば、無意識で行われている動作のことです。

これによって、その人の現在の “危機的状況” がある程度把握することができます。
(どのくらいクライエントさんが「今のままではいけない」と感じているか)

また、こういった無意識で行われている動作の他、クライエントさんの中から思わず出た言葉や
噴き出した感情、涙などをカウンセラーが丁寧に拾い上げ、クライエントさんに伝えていくことによって
(その他、クライエントさんのお話をもとにいくつか質問をし、その質問に答えていただくことによって)
少しずつ、クライエントさんの中にある変化が生じてきます。

その変化を例えるなら
「鬱蒼とした森を長い間歩き続けていく中で、遠くの方から一筋の光が差し込む」
ようなものでしょうか。

そしてその一筋の光が徐々に大きくなっていって、それが「出口だ!」と確信した瞬間
クライエントさんは『腑に落ちた』感覚を味わいます。
(その人自身の持っていた “答え” に到達)

自分自身に目を背けず真摯に向き合えば、カウンセリングによって
(方程式のような、はっきりした明確な答えではなくても)
必ずその人自身が “持っていた” 何かしらの答えに到達することができます。

「自分の “ほんとうの” 気持ちに気づく」という言い方のほうがしっくりくるかもしれませんね。