ハートオフィス・あおい

NEWS RELEASE 新着情報

カウンセリング提供の際、カウンセラーが備わっておくべき条件(2/3)

みなさま、いつもありがとうございます。

カウンセリングを身近なものに。

前回に引き続き、クライエントさん自身が自分の力で成長するために、カウンセラーがクライエントさんに接する際に示す『3つの態度条件(※)』 きょうが2つめです。
(引用:『ほんものの傾聴を学ぶ』 諸富祥彦著 誠信書房)


② 共感的理解

クライエントの発する言葉や態度だけでなく、私的な世界やその微妙なニュアンスに至るまで、あたかもその人自身になったかのような姿勢で感じ取り、そこで感じ取ったことを丁寧に『伝え返していくこと』を心がけています。

クライエントがまさに言わんとしていること(言葉だけでなく、その思い、体感覚といったものも含め)を「あなたのおっしゃっていること(感じていること)は……ということでしょうか」と、クライエントの ”次元” に踏みとどまりながら、ていねいに、ていねいにクライエント自身の側に身を置きつつ、暗闇の中をともに歩んでいく姿勢も同時に大切にしています。

つまりは『共感する』だけでなく「理解したよ」ということがクライエントに伝わり、より安心感をもってカウンセラーに接してもらえるよう努めます。

よって、カウンセラーが自身の考えを述べたりジャッジすることはもちろんのこと、同情することも決してありません。
(同情することは、クライエントを蔑んだ目で見ていることにつながるため)


 (※:『3つの態度条件』過去掲載分)
 http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1095

カウンセリング提供の際、カウンセラーが備わっておくべき条件(1/3)

みなさま、いつもありがとうございます。

カウンセリングを身近なものに。

カウンセラーはクライエントさんに対し、自身の意見で押しつけたり批判しないのはもちろんのこと
アドバイスすることや問題解決となるヒントを出すことさえも基本的にないといっていいでしょう。

これは、クライエントさん自身が自分の力(←もともとどんな人にも備わっている)で成長するために
カウンセラーがクライエントさんに 3つの態度条件 を持って接することが重要だという前提があるからです。

この条件は、クライエントの持つ “自己成長力” の信頼こそがカウンセリングの基本理念であることを示す『来談者中心療法』の創始者、カール・ロジャーズによって定義されました。
(それ以前は、専門家がクライエントに指示・助言するという形が一般的だった)

では、この3つの態度条件とは何でしょうか?

カウンセラーは、この条件を備えてクライエントさんに接することで、クライエントさんの

 〔1〕ゆっくりと落ち着いて話ができ
 〔2〕ひとつの話題をじっくり深化させることができ
 〔3〕問題の本質的な部分に立ち入ることができ
 〔4〕感情を解放しながら語ることができ
 〔5〕知的(頭)にも感情的(心)にも真の理解が得られていく


援助を行うことができます。
(引用:『ほんものの傾聴を学ぶ』 諸富祥彦著 誠信書房)


① 無条件の肯定的関心(受容)

カウンセラーがクライエントを「あなたが○○の場合だけ認めます」といった条件を持たず、また、カウンセラーの価値観によって「この部分は大切だが、これは大切でない」といった取捨選択をせず、クライエントから表現された言葉・態度・雰囲気すべてを受容するという姿勢のことです。

ひとつの『空間』の中に、クライエントの『こころ』が自由に漂っているようなイメージでしょうか。

この、クライエントのこころが安心して自由に漂える空間をカウンセラーがつくることによって、クライエントは「自分はこのままの状態でいいんだ」と感じ、安心感をもつと同時に、おどおどしたり、「批判されるかもしれない」と恐れたりせず、気遣うことなく自由に話をすることができるようになります。


以降、あす、あさってと残り2つを書いていきます。

『つかれ』をとる〔コラム〕

みなさま、いつもありがとうございます。

いわゆる『お盆』に入りました。

この時期にお休みされるほとんどの方は、この休みの間に
いままでの『疲れ』をとりたいと思われているのではないでしょうか。


ちなみに、「疲れ」の語源は「憑かれ」

つまり「疲れた」とは
「とり憑かれた」「憑依された」という説があるそうです。


1日1日、がんばって仕事や家事をこなしていると
当然疲れが出てくるわけですが
なぜ、疲れが出てくるのか・・・

それは、きょう1日会った人、すれ違った人の
『邪念』や『怨念』といったものが
「とり憑いてしまった」からかもしれません。
(そういう自分も、みなさんも、誰かに「憑けてしまっている」かも)


その「つかれ」が体のどこにつくかというと
肩や背中がほとんど。
(昔からお化けや霊は肩や背中に憑くと言われている)

よって、外から帰ってきたら
まず玄関先で肩や背中をポンポンと軽くたたいて
“邪気を祓ってから” 家の中に入るとよいとされているそうです。


スピリチュアル的な要素がやや強いですけどね。

ただ、納得感はあると思います。

アドラーの目的論②:「大声を出すために怒る」とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

前回のテーマ( http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1091 )に引き続き
心理学者アルフレッド・アドラーの推奨した『目的論』について
(『原因論』との違いについて)
ひとつ、例を挙げて紹介したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

レストランで、客の男性がウェイターにコーヒーをこぼされ、一張羅の背広を汚された
男性は反射的に大声を出し、店中に響き渡るようにウェイターを怒鳴りつけた


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この場合、一般的には
「コーヒーをこぼされて怒りを感じたから大声をだした」
(大声を出した『原因』は、コーヒーをこぼされ怒りを感じたから)
と考えがちなのですが

アドラー心理学では
「大声を出すために怒った」
(大声を出したのには、他の『目的』がある)
と考えます。


上の例でいうと

「ウェイターに謝らせたい」
「自分が客(上の立場)であることを誇示したい」
「クリーニング代を支払わせたい」


といった『目的』があるから大声を出した。ということになります。


もちろん、この例だと
『コーヒーをこぼされたこと』と『大声を出したこと』との間に
ほとんどタイムラグがないので
コーヒーをこぼされたことによる怒りが大声を出した原因と考えがちですが
もし仮に、美人のウェイトレスにコーヒーをこぼされたとしたら
男性はどんな対応をとっていたでしょうか?

瞬時に取るべき行動を判断して
「あ、大丈夫です。気にしなくていいですよ」
と笑顔で答えていたかもしれませんよね。

(この場合、ウェイトレスに「寛大な人間であるというところを見せたい」という『目的』がある)


そのほかにも
「過去自分にこんなつらいことがあった」というのは
「相手の同情を引く」という目的を叶えるための手段のひとつと考えることもできますし
「不安なので○○できない」というのも
「○○したくないので不安を創り出している」というふうに考えることができます。


もちろん、当の本人にとってみれば
(問題や悩みを抱えて)大変苦しい思いをしているわけですが

「起きた出来事に対してどう捉えるかは自分次第」
「いまの自分は、自分が選んで創り出している」


という感覚(自覚)が少しでも持てるようになれば
アドラーの『目的論』は、あらゆる悩み・問題を解決できる
かなり可能性の持った考え方ということができると思います。

(とはいえ、それを習得するにはかなり修業が必要ですけどね)

アドラーの目的論①:問題や悩みごとの『原因探し』って、結構いい加減

みなさま、いつもありがとうございます。

何か問題や悩み・病気などを抱えているとき
その箇所や原因を見つけ出して、対処したり除去することを考えますよね。
(病気になってしまったのなら当然そうするべきですが)

しかしながら、心理学者アルフレッド・アドラーが
「起きた出来事に対してどう捉えるかは自分次第だよ」
という『目的論』を推奨するように、生じてしまった問題や悩みに対して
「いまの悩み(問題)があるのは、このことが元になっているからだ」
と、その原因を探して決めつけてしまうのは
かえってよくなかったりするケースがあったりします。


なぜ『原因探し』が必ずしもよくないのか・・・

この文章のタイトルに掲げた
「原因探しって、結構いい加減」という例を少し挙げてみると・・・


よくある「人を好きになる」

なぜその人を好きになったのか、いろいろ考えていくと・・・
(原因を追究していくと)

・優しくて意見を聞いてくれる
・頼りがいがある
・几帳面でしっかりしている  など



今度は反対に「人を嫌いになる」

なぜその人を嫌いになったのか、いろいろ考えていくと・・・
(原因を追究していくと)

・自分の意見がなくて優柔不断
・支配的
・細かいことにこだわりすぎる  など



そう。

すでに気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが
『原因を探す』という行為は、自分にとって
『都合のいい捉え方(解釈)をする』ための手段 に過ぎなかったりします。
(同じように『評価』というのも、自分にとって都合のいいものにしてしまいがち)


上の例でいうと

   〔好きな理由〕         〔嫌いな理由〕
「優しくて意見を聞いてくれる」=「自分の意見がなくて優柔不断」
「頼りがいがある」      =「支配的」
「几帳面でしっかりしている」 =「細かいことにこだわりすぎる」


の関係。
(解釈の仕方で『好き』にもなるし『嫌い』にもなる)


このことをアドラーの『目的論』にあてはめると

「この人との関係を続ける」という目的のために、その原因となる『好きなところ』を見つける。
(肯定的な評価をする)

「この人との関係を断つ」という目的のために、その原因となる『嫌いなところ』を見つける。
(否定的な評価をする)

ということになります。


成人になった人の悩みによくある「結婚したいけど、出会いがない」

『出会いがない』のは事実かもしれないけど
本当は「いまの生活スタイルを変えたくない」とか
「出会いを求めるのがめんどくさい」「見ず知らずの異性と話をするのがすごく疲れる」という
“本音” が隠されていることが多かったりしますよね。
  
(「やりたいことがあるんだけど、お金がなくてできない」という悩みも
 「ほんとうはやりたくない」というのが “本音” なのかもしれません)


また、これとは別に
さきほど挙げたアドラーの『目的論』のことば

「起きた出来事に対してどう捉えるかは自分次第」

というと、前向きに・ポジティブに捉えないといけないと考えがちですが
必ずしもそういうわけではないので、そこはまた注意が必要になってきます。

眠れぬ夜に〔♯36〕『眠り』とは?

みなさま、いつもありがとうございます。

眠れぬ夜に・・・
明日につながる希望の哲学シリーズ〔♯36〕

『眠り(ねむり)』とは・・・
『意識の気分転換』である。



〔解釈とヒント〕

皆さんはちゃんと眠っていますか?

いや、眠れない夜にこの文章をご覧いただいているくらいですから
睡眠不足の方のほうが多いのではないかと思います。

眠れないのにはいくつかの原因があります。

たとえば、身体が疲れていない、興奮している、心配事があるといったように。

身体が疲れていないのは別にして
それ以外の原因については、言ってみれば “寝ていられない” 精神状態にあるわけです。

そのなかでも、ワクワク興奮しているのならいいですが
怒りや心配ごとで寝られないというのは、あまりよくないですよね。

心を落ち着かせる必要があります。

そもそも、寝なかったからといって解決する問題ではないのです。

たいていは身体や精神の疲弊をもたらし、悪い方向に行くだけです。


『眠り』について最初に哲学的視点で考えたとされるのが
古代ギリシャの哲学者・アリストテレス(前384-前322)です。

彼は現実主義者で有名です。

何しろ、物事の真理はどこかの別世界ではなく
目の前にあると唱えた人です。

つまり、彼は『ヒュレー』と呼ばれる材料の中に
完成状態としての『エイドス』が既に備わっているとみるのです。

種は最初から花となり、材木は最初から家になる運命にあるというように。


そんな彼によると、睡眠とは「感覚が働かないでいることだ」といいます。

身体の器官には休み(睡眠)が必要なのです。

なぜかというと、それは再び活動するからです。

物を長く使い続けるためにはメンテナンスが必要ですよね。

休みなく動かし続けると、疲弊してダメになるのは、物も人間も同じなのです。


あと、おもしろいのはアリストテレスのいう睡眠は
一部の器官を休ませることでは決してなく
共通感覚の停止であるとしている点です。

個別の器官、たとえば、足が疲れたから腰掛けるというのと違って
意識そのものを休ませる必要がある ということです。

確かに、寝ている間も心臓は動き続けていますから
すべて休ませるのは不可能です。

休ませる必要があるのは、意識なのです。

私たちの意識は、再生産が必要なのです。

意識を一旦リセットすることで、人はまた生きていくことができます。

「一晩寝たら怒りが収まった」というように
何日か経てば自然にリセットされることがあります。

その意味で、腹の立つことがあろうが、心配ごとがあろうが
とにかく放っておいてあとから寝るというのは
正しい選択なのかもしれません。


人がうまく生きていくためには、気分転換が不可欠 なのです。

そう、睡眠は最高の気分転換 なのです。


(引用:『眠れぬ夜の哲学』小川仁志著 PHP研究所)


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これまで計36回にわたって書いてきた
〔眠れぬ夜に・・・明日につながる希望の哲学 〕シリーズ(※)
今回をもって終了することとなりました。

自分の中で何か悩みや問題ごとを抱えたとき
どうしてもそれを解決しようとして躍起になることが多いわけですが
(主観的ではなく)一歩引いて、客観的に捉えられた方が
自分の求めている〔結論〕〔方法〕が出やすいのは経験としてお持ちではないでしょうか。

その客観的に捉える方法として挙げたのが
今回、カテゴリーとして設けた『哲学』の力を借りることによって “答え” を導く方法。

普段よりよく用いられる36個の単語とその哲学的意味を載せてまいりました。

哲学的意味を知ったからといって、ご自身が抱えている問題や悩みが解決するものではありませんが
各々の言葉の具体的イメージをつかむことで、問題や悩みを解決するための足掛かりになればと思います。


 (※)眠れぬ夜に・・・明日につながる希望の哲学シリーズ
    (カテゴリー『明日につながる希望の哲学』)
 http://www.heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/category/philosophy

あなたが生まれてきた意味 ~人生のmission~ を知る(2/9)

みなさま、いつもありがとうございます。

以前よりお送りしているテーマ
「あなたが生まれてきた意味 ~人生のmission~ を知る」

いくつかの課程(※)を踏まえ、経験することによって得られるであろう
『あなたがこの世に生まれてきた “ほんとうの” 意味』

きょうはその2つめです。
(引用:『魂のミッション ~あなたが生まれてきた意味~ 』 諸富祥彦著 こう書房)


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自分自身から目を離すこと。
自分の愛せない原因の大半は、自分自身に関心が向きすぎていることにある。

よって、自分から目を離して「世界」や「宇宙」に意識を向け
世界全体、はたまた宇宙全体に浸透している <いのちの流れ> を
からだ全体で感じ、
信じること。


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 『あなたが生まれてきた意味を知る』URL
 http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1051

 (※:『人生のmissionを知る課程』過去掲載分)
 http://heartoffice-aoi.com/index.php/news/archives/1069

半年ぶりのカラオケ +α

みなさま、いつもありがとうございます。

先日、約半年ぶりにカラオケに行ってきました。

自分の好きな歌を気持ちを込めて歌うのは大変気持ちがよく
心と体が満たされていく感じが手に取って分かる気がします。

(実際、歌を歌うことによる健康効果はかなり周知されていますよね)

どちらかというと私は、ノリのよい・盛り上がる曲ではなく
しっとり・しんみり系の歌を歌うのが好きなので
ちょっと油断をすると、急に胸が詰まり、目からあるものが出そうになります。
(「暗い」なんて言わないでくださいね(笑))


さて、少し話は変わり

いまの子どもたちは
学校で歌を歌うことは禁止されているのかどうか。。

歌は歌えない、楽器は弾けない
体育(水泳)はできない、社会活動・体験機会が得られない
マスクによって必要な酸素が体内に行き届かない・・・

たったひとつの何かを恐れるあまり
大人になるうえでの心身の健全な成長、必要な免疫力が得られなかったとしたのなら
それこそ本末転倒のような気がするのは気のせいでしょうか。。

(もちろん、現場の方の苦悩は計り知れないものがあると思いますが)

また、これもいわゆる “おじさんのグチ” になってしまうのかしらね(苦笑)

この時季のパワーの源

みなさま、いつもありがとうございます。

いやぁ、相変わらず暑いです。

半分夏バテです(笑)

この時季、つい、食が細くなりがちなわけですが
私が数少ない(?)パワーの源としているもののひとつに
手作りの『梅ジュース』があります。

私の実家のすぐ近くに、大きな梅林公園があり
また、母親がボランティアでその公園の草木の手入れをしているという縁もあって
毎年、多くの梅をいただき、その梅を使ってジュースを作っているのです。

そのジュースを実家から持って帰り
牛乳や豆乳などと割って、氷を入れてグビッと一杯。。。

ビールの飲めない(飲まない)私にとっては、まさに『至福の一杯』

この梅ジュースを飲んで
今年もこの暑い夏を乗り切ろうと思います。

オリンピックを見て(観て)感じること

みなさま、いつもありがとうございます。

先週末から始まった2020東京オリンピック。

柔道阿部兄妹の、史上初となった兄妹同日金メダル。
13歳10ヶ月、史上最年少での金メダルとなったスケートボードの西矢選手。
そして昨晩、ソフトボール日本女子13年越しの金メダル。。。

早くも(?)ドラマチックな出来事が連日のように起きています。


私に限らず、おそらく多くの人たちがオリンピックを見て感じること・・・
(オリンピックに限らず、スポーツ全般に言えることですが)

選手たちの頑張りや涙、インタビューなどに感動し
「勇気をもらえた」
「もうすこし自分も頑張ろう」

と思うわけですが、一方で、そのように思う気持ちの裏側には
「もっと頑張らなきゃいけない」
「(自分には)何かが足りていない」

という気持ちを強く持ってしまっているところがあるかもしれません。

そのため
「いままで(いまも)十分頑張ってきた(いる)じゃないか」
と “自分を認めてあげる” と行為が
ある意味すごく大切になってくると思います。 

意外と忘れてしまっていることのひとつですよね。


『自分ダメ妄想』は、それこそ埃のように振り払ってしまって
(同じホコリでも)誇りを持つことにしようではありませんか!

わたしも、みなさんも。